定年退職後は野良犬になり、飼い主がいるペット犬にはなれない現実がある

会社の仕事に溺れている仕事中毒の人は会社を定年退職すると一般的に生き甲斐を失い、毎日が日曜日の生活で苦しめられる。ある意味、定年退職は燃え尽き症候群の始まりである。次に熱く燃える生き甲斐を自分で見つけない限り、何に時間を使ったら良いかが分からない状態になる。会社組織で働くのは楽。やるべき仕事が上から降ってくる場合がほとんどだからだ。

高校、大学を卒業した時点で大きな人生の節目に出会う。自分でお金を稼ぐ必要が出てくる。安易な方法は大企業に雇用されること。大企業がだめならば中小企業で働くという選択になる。中には家業を継ぐ人もいるし、起業をする人もいるが数は少ない。多くは幻の終身雇用制で成り立っているサラリーマン生活を求める。

サラリーマン生活は会社が倒産しない限り毎月安定した給与が社員に支払われる。それが定年退職の年齢まで続くので楽な稼業になる。そんな環境で長年仕事をしていると会社に頼らないで自分の力だけでお金を稼ぐという発想が生まれなくなる。所属する会社の中で自分の生きがいを見つけるしかない生活。部長になること、役員になること、社長になることが生き甲斐かもしれない。

本当に社長になりたければ起業すれば良い。誰でも起業すれば簡単に社長になれる。会社員はなぜかその選択を取らない!飼い主に飼われているペット犬であるから、野良犬のように自分で餌を探して生きて行く生き方を知らない。

定年退職後は多くの会社員が野良犬状態になる。老いた元ペット犬は飼い主にとって魅力もなく可愛くもない。野良犬は新しい人生を見つける旅に出なければならない。

野犬とペット犬の違い

野犬は自分の命を自分で守っている

毎日生活に必要な食べ物を探して生きている。自分が動かなければ生きて行けない世界に身を置いている。ペットの犬は飼い主に100%依存して生きている。良い飼い主に飼われれば、毎日の食べ物は心配する必要が無い。可愛がられれば、ゆりかごから墓場までお世話してくれる。

ただ、身勝手な飼い主に飼われると突然捨てられる(リストラである)。野良犬になる。雲隠れした飼い主を探しながら、うろたえる。飼い主を失ったペットの犬たちは飼い主が生き甲斐であった。突然、生きがいである飼い主がいなくなるとペット犬の生き甲斐も消えてしまう。野良犬になって新しい生き甲斐を見つけなければ、生きて行けない。自分で餌を探して食べて行く力が無いと死んで行く(年金生活で認知症に突入)。

野犬は自分の力に頼って生きて行く方法を学んでいる

ペット犬はそれが出来ていない。生まれたら飼い主がいたという環境である。定年退職後に生き甲斐を失った元会社員は飼い主を失ったペット犬と同じ立場になる。飼い主に忠誠を誓って飼い主を喜ばせてきたが飼い主の機嫌を損ねると野良犬になる。野良犬の生活は未知の世界であり、恐怖の世界でもある。あまりにも安全で心地が良い環境で人生の大半を過ごし過ぎると一人の力で生きて行く術を失う。定年退職後の世界はまさにそれである。

元ペット犬は自分の力で自分に合った生き甲斐を見つける旅に出ざるを得ない

生きて行くための「餌探し」である。当分の間、退職金で食べる物に困らないが、毎日が日曜日になる。精神的な充実感を満たす「餌」がない。仲間がいない。群衆の中の孤独な一人になる。新しい生き甲斐を見つける努力が要求される。

新しい飼い主を見つけるか、野犬となって自由を満喫するかである。どちらも、自分が動かねば何も始まらない。動かない人はただ生き甲斐が見つからないと嘆くだけ。嘆きながら楽な生活に身を任せて認知症になって行く。何もやる気が起きない精神状態になって行くと精神的に不安と孤独を覚え始める。

そんな知人を何人も知っている。元は大企業の役員とか部長さんたちである。自分では何も出来なくなってしまったのだがメンツだけを重んじる。そんな老人に成り下がった。本当に実力がある会社員は起業が出来る。一人で生きて行くリスクを取れる。定年退職後に自分のリスクを取るアクションをするか、しないか。それで余生の生き方が変わる。

結論

定年退職後は野犬の生き方を基本にする。飼い主を頼る生き方は若いペット犬に譲り、自分独自の生き方を模索する。そのために頂いた退職金を使ってみる。会社員生活が長い人ほど組織の歯車生活に安心と安全を求める。野犬のように自分のエサを探すという発想が出にくい。

雇い主を失った元ペット犬は会社に生きがいを求めるのではなく、自分独自の生きがいを見つける必要がある。新しい生きがいは「これをやってみたい!」という好奇心と興味から生まれて来る。自分で考え、行動しなければ何も始まらない生活になる。

定年退職後は少し冒険の人生を送った方が刺激がある。人生は一度限り。どんな余生を送っても終点は同じ。後悔しない人生の終わり方を求めてみる価値がある。