年老いた両親の介護で一番大変なのは・・・

家内の母親が自宅で介護ベッド生活に入った。背骨の骨折と足の筋力低下で動けなくなったからだ。認知症の気配が少しあるがあまり目立たない。自分で動くことが出来ないためトイレにも行けない。介護ヘルパーに1日朝昼晩と3回訪問してもらっている。全てが新しい体験であるため、力の抜き方がまだ分からない。

介護ベッド生活になった義母の対応が段々と大きなストレスと疲労に変わっていく。

介護する側の本音

老人が介護ベッド生活を始めると自宅に誰かがいないといざという時に対応が出来なくなる。義母の場合は、背骨の骨折と脚力の低下で自分でトイレに行けない不自由な立場にある。普通ならば、静かにテレビや読書などをしてベッド生活を楽しむのだが、義母はそれが出来ないでいる。

そのため、私達夫婦二人が万が一のために1日中どちらかが見守っている状態だ。それが10日以上続いている。父親は、90歳の高齢者であるため力を要することは出来ない。

今一番困っているのは、義母が何かにつけて誰かを呼びつけることだ。内容は、自分で我慢できるようなことなのだが直ぐに声を出したり、手を叩いて呼びつけるのだ。介護ヘルパーが来ている間は、ヘルパーに任せていられるがそうでない時間帯に頻繁にお呼びがかかる。

普通の人ならば、我慢して頻繁に呼び出さないのだがその考慮がない。介護される側になると呼べば誰かが来るという環境に甘えてしまう。そのため、介護する側の負担や迷惑に気が付かない。この数日は、お呼びの声を無視するようになってきた。お呼びの内容が自分で十分我慢できる範囲の内容が多いからだ。

例えば、

紙おしめをしているのにトイレに行きたいとか、水を飲みたいとか(枕元にゼリー液体があるに)、介護ベッドの角度を変えてほしいとか、ヘルパーさんがやってくるのはいつとか、命にかかわるような緊急性の高い内容ではない。介護ヘルパーは、朝昼晩と1日3階訪問してくれるのでこの時にまとめてお願いできるようにしてもらいたいというのが介護する側の本音である。

認知症ではないので絶えず見守る必要はそれほどないと感じているのだが、初めての老人介護であるため要領を得ていない。お陰で12月になってからほとんどずっと居場所を横浜の自宅から東京の両親宅に変わってしまった。仕事もまともにできていない。今日は、実験的に義母の世話を家内に任せて1時間ほど仕事場として使っているスタバに来れた。

介護の負担には個人差があるが、介護する側だけが100%の負担を被るやり方は長続きしない。今の私たちは、要領を得ていないため100%義母の負担を受けている。義母の介護ベッド生活である程度のパターンが見えてくれば、手を抜く時間帯も見えてくると思う。

同時に、義母にいつもお呼びに答えられないということを言葉だけでなく体で感じてもらうようにしたい。つまり、いつも義母の家に居ないという日を作ることだ。介護ベッドから呼んでも誰もいないとわかれば、朝昼晩に来る介護ヘルパーがやってくる時間まで我慢するしかなくなる。

こんな日を様子を見ながらこれから少しづつ作って行こうと考えている。1日3回はヘルパーさんが義母の介護をしてくれるので私達が居なくても様態がおかしくなるようなことはないと思う。

年内は、このような状態が続くが来年からは、横浜から週1回、2回程度の訪問だけにするリモート介護に移りたいと思う。骨折以外の病気はないので後は足のリハビリだけだ。お父さんがヘルパーさんと一緒に困ったときに対応してくれれば何とか成るのではと思っている。

私たち夫婦には何十年も過ごした横浜での生活がある。私たち夫婦が常駐しなければ介護ができないという状態ではないので義母の様態を十分把握した上で身の不自由さをある程度我慢して頂くようにしたい。私たち夫婦の生活を犠牲にしてまでも介護する状態でないのでその線引をする時期を考えるだけだ。

老人介護の大変さを今味わっている。