今のライフスタイルを少し勇気を出して変えたいと考えている。65歳になると再雇用で会社勤めのシニアが組織から離れる。多くの65歳の人たちがこれから何をして日中を過ごせば良いかを悩み始める。年金を受給できるのは嬉しいが、仕事が無くなった日々をどう作り変えるかが問題になる。

私は51歳の時に起業したので仕事がある。仕事は65歳になっても辞めないし、無くならない。65歳以降の人生を今よりも楽しくさせたい。そのためには、興奮するような体験とやり甲斐をもっと探す必要がある。まだ、経験したことがないことが沢山あると思っている。

健康で体力と少しばかりの勇気がある60歳代のうちに挑戦できることをやってみたい。大学を卒業する学生は卒業旅行に出かける。人生の大きな節目で社会人になる前になる。自由に自分の時間を使えるのはこの時期だと思っている。社会もそれを暗黙の常識のように受け取っている。

65歳を迎えるシニアも会社を卒業する記念として夫婦でゆっくりと旅に出かける人が多い。仕事で時間が束縛されて長期の旅行に出かけられなかったという不満をこの時期に満たしたいからだ。その後で、「さあ、これからどうしようか?」と思う人がいるのではないか。

シニア起業家は、事前にビジネスプランを立てるのだがビジネスが上手く行かない時の撤退プランが無い。これは若者も同様。私を含めて起業時には自分のビジネスアイデアに惚れ込んで絶対成功すると信じている。情熱が先に走ってしまうため、上手く立ち上がらない場合の撤退プランを考えていない。

私の場合は幸運にもビジネスが初年度から上手く立ち上がってしまったので撤退プランを考える必要が無かった。今思えば怖い話である。会社員は自分でお金を稼いだ経験が無いため、起業は複数回の失敗と試行錯誤をして失敗からビジネスの本質を学ぶ場合が多い。

元会社員が起業をするとき、失敗経験が成功への近道であるということを経験していない。頭の中や知識としてそのことを認識しているが、自分のビジネスは大丈夫だから失敗しないと惚れ込んでいる。野球のバッターには2回までやり直しがある。起業も複数回挑戦できる余裕とプランが必要だ。

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会社という組織から離れた人が共通して感じる事は、気軽に会話をする相手、仲間がいなくなることだ。会社にいれば、同僚と上司の悪口や会社の状況などを話題にして話が出来る。話をする共通話題がある。仕事をしていないでしばらく自由な生活を自宅で送っているうちに社会から取り残されたような感じを受け始める。

自分を束縛してきた組織から解き放されて精神的なストレスを解消できたと思ったら、別の問題に直面する。気楽に会話をする相手が見つからなくなったという問題だ。孤独を味わい始めるのが老後の人生である。一人で自分の人生をどのように過ごしたら良いかを考えねばならない。今までは会社中心の人生設計で時間が過ぎていたが、今は一人になった自分を中心に残りの人生を過ごさねばならない。

行く場所があり、会話をする相手がいる環境を自分で探し、作らねばならない。これをやらないシニアは孤独を甘んじなければならなくなる。自分でアクションを取らなければ何も始まらない。それが会社を卒業したシニアの運命である。孤独と戦うのではなく、孤独を友達にして、孤独から離れたり、一緒になったりする事に慣れるしかない。

そんな老後を過ごすには気楽にお喋りができる仲間を見つけるしかない。

介護ベッド生活を送っている老人は、自分で身動きができない。食事をするにも排泄をするにも誰かの介添が必須になる。年齢が80歳を越えると自分の体が老化現象で自由に出来なくなるという現実に不安と恐怖を抱く。私の義母は85歳。圧迫骨折で介護ベッド生活を送っている。骨折は順調に回復してきて、背中の痛みはなくなってきた。

問題は、足の筋力低下。この問題は健常者の老人にも当てはまる問題である。

介護ベッド生活の期間が長ければ長いほど足の筋力と体の筋力が衰えていく。体を動かすことが少ない介護ベッド生活は老後の生活の生死の境目になる。足のリハビリを頑張って自分で歩けるようになれば、生の道が開ける。自分に甘えて我儘な生活を送るならば、死の道が開く。

そんな状態を介護されている老人は意識していない場合が多い。自分のために家族がなんでもやってくれるからだ。子供が母親に駄々をこねるように老人も同じ精神構造になる。子供は自分ができないことを母親に求める。介護されている老人も自分で出来ないことを家族に求める。

介護する家族は何でも聞いてやってあげることが親へのお返しと思っている。その結果、介護負担で自分を駄目にしてしまう。義母の介護も私達夫婦に負担をかけていた。義父は一人で自分のお世話ができているが出来ないことはすぐに私達夫婦に来る。義両親の介護とお世話は私達夫婦の自由な時間を奪う。

介護ベッド状態の義母は子供のように幼稚化してしまった。何かほしいモノ、やってもらいたいことが頭に浮かぶとすぐに大声で私達を呼ぶ。これが頻繁に起こる。子供のように言い聞かせることも出来ない。幼稚化した老人は子供以上に厄介である。

NHKスペシャル「老後破産」は、団塊世代のシニアで裕福な資産を築けなかったシニア層を問題として取り上げている。この問題は、個人差がある。一概に大部分のシニアが老後破産になるというわけではない。収入がなくて十分な年金を頂いていない老人は、リスクが高いということだ。 

老後破産の原因は色々とあるが、根本的に年金プラスの収入が老後にあればほとんどの問題は解決する。雇用されて生活しようとせず、自分に頼って仕事を作り出すことを考える。社会は老人に仕事を提供しない。老人は知恵を絞って自分でお金を稼ぐことに挑戦するしかない。

老後の生活の基本は(1)無駄をなくした消費生活、(2)年金プラスの収入を得る、(3)健康維持である。この3つの基本の中で(2)年金プラスの収入を得るが一番重要である。

60歳を過ぎると健康に目が行き始める。体力低下を肌で感じ始めるからだ。時々、運動イベントで体力測定を無料でやっている。イベントでは体力測定で握力検査をしている。握力がなぜ体力を測定する指標になるのだろうか。

握力は体の他の筋力と相関関係が強く、全身の筋力を表す指標になる。握力が低下しているシニアは脚力の低下や歩行能力の低下の可能性があり、全身の筋力が強いかやや不足しているかを評価するのに1番簡単な方法になる。

60歳代の標準握力は34キロから41キロになる。もし、34キロ以下であれば体の筋力が衰えているということになる。

60歳以上のシニアは下記の事実を頭に叩き込んで置く事である。そして、直ぐに自分なりのアクションを取ることが重要になる。

シニアの体は、加齢とともに体を活発に動かす事が減少し、それが食事の量に影響する。生命エネルギーの糧になる食事が細くなると体を動かす筋肉の生成も減少し、筋肉を失い始める。筋肉を失い始めると新陳代謝も減少し始めて肉体が知らないうちに枯れて行く。

シニアは老いて来る肉体が「楽をしろ、しろ!」を命じている。階段で上がるよりもエスカレーターやエレベータを使う。短い距離なのに歩かないで自動車に乗る。便利な文明の利器がシニアの肉体を楽にさせてしまう。

ある上場企業の新入社員が、体を鍛えるために自分の部署がある8階フロアーまで階段を上がっていた。階段を上がる時に必ず一緒になるシニアの社員に出会うという。そのシニアは、後で知る事になるが、その会社の社長であったという。

社長は体力を維持するために階段の上り下りで足腰を鍛えていた。多くの会社社長は体を快適にする環境を提供される。社長専用のエレベーター、お抱え運転手、秘書など。健康意識が強い社長は自分の肉体を鍛え始める。スポーツジムに通う時間を仕事のスケジュールの中に強制的に追加している。社長業は、体力勝負だからである。

62歳になって自分の生活をシンプルにしようと考え始めた。まず、やり始めた事は、銀行口座の整理である。口座を作って使っていない通帳が多い。取り敢えず、大手銀行に対して一つ口座を残している。みずほ銀行、三井住友銀行、三菱UFJ銀行、りそな銀行、ゆうちょ銀行など。それぞれの口座は用途別に使っている。

問題は同じ銀行に複数の口座があること。使っていれば良いが使っていない。そこでこの問題を整理した。使っている銀行口座だけにした。使っていない口座は全て解約。衣食住と言う視点で自分の生活をスリム化しようとすると住居内にある物を整理することになる。

何が満たされていて、何が余剰な物であるかを明確にすることで処分する物が見えてくる。60歳を過ぎたら日常生活で使っていない物を整理する時期になる。知らないうちに出番を失った物が自宅に累積して行く。夫婦二人の生活で日常的に使う物は限られる。

衣食住が満たされていれば、基本的に問題がない生活が出来る。無駄が多い生活を見直す良い機会になる。

少子高齢化社会で高齢者の労働力が必要とされるとメディアと政府は、叫んでいる。 現実はどうか。2017年に65歳以上の高齢就業者が870万人、2020年では906万人に増加している。この傾向は、年々増加していく。若者の人口減少の穴埋めのために主婦や高齢者がその対象になる。それでも足りないので外国人労働者に求め始める。

今後、若い外国人労働者が国内の労働市場に入ってくると人手不足の会社は効率が悪い、融通がきかない高齢者労働者の首を切り始める。雇用される立場にいる弱者の労働者はいつもそうである。

65歳以上の労働者が何歳まで雇用され続けるのだろうか?体力的に言って雇用する側も雇用される側も70歳を過ぎたら一つの節目と考えられている。70歳を過ぎたら働くことをやめるシニアがどれだけいるだろうか。年金が足りないシニアは働かざるを得ない。

雇用する側がそれを良しとすれば問題がないが、多くの会社は体力と健康面で70歳過ぎのシニアに不安を感じている。定年がない会社で働いていれば、自分の決断で仕事をやめられる。現実はそんな会社が少ない。自分の都合を優先できる働き方はいつも一つしかない。

他界する時期は必ずやってくる。それがいつになるかは運次第。予定は未定だが、自分が死にたい年齢を決めて現在の年齢までの人生を想像してみる。希望的観測でこう有りたいという絵である。

米国の大学でEnglish 101というクラスを履修した。授業ではエッセイの書き方を学んだ。エッセイを書く時に結論を先に書けと教えられた。結論から逆上ってコンテンツのアウトラインを書き内容を肉付けしていく。

老後の人生も同じような形式で希望的観測の人生計画を考えてみるとこれからの余生を楽しめる。まずは現在と89歳の自分の人生を描いてみたい。現在、私は67歳であるので89歳まであと22年間ある。89歳まで生きたいという人生計画になる。

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