thinking

人生に迷う時は誰にでもある。人生の節目節目で迷う。これは自然である。若者も老人も自分の人生に迷う。特に定年退職をしたシニアは深刻に迷う。会社という組織による束縛が突然なくなる。何十年も会社に自由を束縛されてきた人は明日から会社に行かなくて良いという生活に戸惑う。

長生きをしないと年金の恩恵は十分受けられない。年金を受け取る年齢を政府はできるだけ後にする告知宣伝やメディアプロモーションを行っている。私が国民年金と厚生年金を受け取り始めたのは65歳の時である。70歳からも受け取れる選択肢があったが、敢て世間一般的に知られている65歳から受け取る手続きをした。

確かに年金を受け取る年齢を後にすれば年金金額は増える。でも、70歳まで生きていられるかどうかの保証はない。確実なのは今しかない。遠い5年先を期待するよりも今手にできる年金のほうが実生活で役に立つ。それが確かであるので私は65歳で国民年金と厚生年金を受け取る手続きをした。

65歳で年金を受け取るべきか、70歳まで繰り下げるすべきかの議論が巷にある。70歳まで繰下げた場合は、81歳を超えると受給総額が65歳から受給した場合を上回る。前提条件として、生きていればとなる。65歳になる前のシニアは自分の寿命をどう考えるかで判断が決まる。

横浜駅ジョイナス地下街にあるスターバックスで仕事をする事がある。朝の9時頃にスターバックスに来て今日のドリップコーヒーを頼む。この時間にいる女性店員が美しい。細身でいつも口紅が目立つ。目が大きいのも魅力だ。何回かその美人店員にドリップコーヒーを頼むと最近になって私の好みを覚えてくれた。

スターバックスの美人さんイメージ

横須賀線で東京駅に向かっていた。品川駅に到着して前の席が1つ空いた。二人の女性が空いた席に座ろうとする動きがあった。左からラッシュしてきた中高年の女性と右から座ろうかな!と思って近づいた外国人女性。二人が鉢合わせになった。若い外国人女性がラッシュしてきた中高年の女性に席を譲った。

中高年の女性は、席に座るなりスマホを出してスマホの世界に入って行った。この状況を見て、私はラッシュしてきた中高年の女性に良い印象を持たなかった。 公共の場でのマナーはその人の品性を表す。

朝日新聞の朝刊に良く見る一面広告がある。シニア向けの生命保険や医療保険の広告である。私は67歳であるが、全ての生命保険と医療保険を60歳になったときに解約した。医療保険を維持しようと思ってたのだが、私の医療保険がカバーする合計金額が最大30万円であることから意味が無いと判断して解約した。手元に30万円あるからだ。それに、国民健康保険に高い保険料を支払って入っている

私が他界して生命保険金が誰かに支払わされても自分を喜ばせない。本来の生命保険は30歳代、40歳代、50歳代の働き盛りの人向けである。子供の育成や教育資金として生命保険がカバーするという目的がある。子供が巣立った家庭では生命保険の目的が消滅している。葬式や葬儀費用などは手元に100万円ほどあれば済む。それぐらいの金融資産が手元にあるシニアは生命保険に入ってそれらの費用を用立てる必要が無い。 

生命保険は誰のために入るのかを考えてみれば、本当に必要かどうかが見えてくる。医療保険も同様である。医療保険として国民健康保険がある。それに追加する意味がない。シニア向けの生命保険が宣伝されているが、死亡時に受け取れる金額が100万円から200万円ぐらい。葬式代程度になっている。100万円ぐらいならば、手元にあると言うシニアがほとんどではないか。生命保険に頼る理由が全くない。

60歳代で働いていない生活を始めると自宅以外に自分の居場所を見つけなくてはならない。シニアの居場所探しは、定年退職後に直面する問題である。65歳を過ぎると年金だけで生活をするシニアが大半になる。毎日が日曜日の生活が続くが、あまり余る時間を使う場所が見つからない高齢者が多い。

ブラブラしている老人たちを羨ましがる会社員がいると思うが、老人たちは決して幸せではない。好きで街中をブラブラしているのではないからだ。やることがない、見つからない老人だからである。人によっては自分の時間を社会に恩返しする意味合いでボランティア活動をしている。そのような思考や意欲がないシニアは人生という川の流れに任せて暇を潰している。

毎日が日曜日の老人は自宅にいられない。妻が嫌がる。外に居場所を見つけなければならない。多くの高齢者は街中散策をする。人通りを楽しみながら、街中の変化を肌で感じ合う。街中散策そのものがシニアの居場所になるかもしれない。特定のエイリアに身を置くことで街中から発信される刺激を楽しんでいる。

時々、今日はいくらお金を使ったのだろうかと自問する時がある。忙しい時ほど使ったお金が気にならない。暇な時ほど使うお金が気になる。仕事で忙しくなると仕事を達成する事に気が行って必要な物にお金が使われて行く。仕事=売上だからだ。お金を使うのは、入ってくるお金のためという事が頭にある。

暇なときは自然と無駄なお金を使わないでおこうという意識が働く。個人事業主になると金銭感覚が鋭くなり、無駄を無くそうとする。円安、物価高騰、追加税負担、介護保険などお金が自動的に懐から出ていくものが増えている。シニアの自営業者は2023年10月から消費税を税務署に支払う義務が発生する。インボイス制度が始まる。今までは1000万円以下の売上であるならば消費税の支払いが免除されていた。来年からはこれができなくなる。

仕事で得た収入が消費税分だけ減る。それが来年から始まるので今から出ていくお金を節約する必要がある。私は平日横浜に外出してカフェで仕事をする。お金を使うのはランチ代とコーヒー代だけである。コーヒー代もマイボトル持参とタリーズカード支払いで割り引いてもらっている。それでも1杯目301円、お代わり150円、合計で451円が出ていく。このコストはタリーズコーヒーで仕事をする「場所代」と思っている。

ランチはワンコインで食べられるのを目標にしているが、難しい。どうしても1000円前後になる。カフェ代とランチ代合わせて1日1500円以内で収まる。自宅から横浜まで6ヶ月定期を購入しているので交通費で困ることはない。これからの時代はインフレとの戦いになる。年金だけでは到底生活ができないというシニアが急増するのが目に見えている。まずは日々のコストを減らすことになる。

家内は友人たちと楽しい時間を海外の観光地で過ごしている。女性だけのグループ旅行だから、おしゃべり、美味しい料理、スイーツ、ショッピングなどで非日常の生活をしているはずだ。

私は、悲しいかな、仲の良い友達が居ない。一緒に海外旅行をする人も居ない。男性と女性では、一緒に何かをするという点で相当の違いがあるのではないか。夫婦で旅行する時以外に旅行を一緒に楽しむ人が居ないというのは、どんなものか。

老人になると一人旅をするシニア男性が多くなるという。夫婦で中山道の宿場「妻籠宿」を観光していた時だ。宿泊する宿で定年退職したシニア男性に出会った。自転車で中山道を巡る一人旅をしていた。なにか目的が有って自転車の旅をしたのだろう。私ならば、どうしただろうか?ふと考えた。

最近、電車を降りて出口に急ぐ時に前を歩いている人のカカトを踏んでしまうことが増えてきた。素早く、「ごめん!」と謝ってその場を後にするのだが、何故、踵を踏んでしまうのか私自身よくわからない。以前は、他人の踵を踏む事は1年に1回あるか、ないかであった。

これは、老化現象だろうか。前を歩く人の足を踏んでしまうのは前の人に近づいて前進しているときが多い。距離感覚が取りにくくなったのか、自分の歩き方が悪いのか、定かでない。気がついたら前の人のカカトを踏んでいたという感じである。

前の人の踵を踏む

最近は駅構内をスマホ歩きしている女性が多い。歩く速度が周りとちょっと遅い。そんな女性の後ろを歩いていると前の人の踵を踏む可能性が高い。通勤時の駅構内は皆急ぎ足で歩いている。大きな流れは急ぎ足なのだが、流れの中に歩きの遅い女性がいると踵を踏む機会が増える。

こんな言葉をある本で見つけて共感した!

「成功する人間は、自分の力で人生という車の運転をする。成功できない人は、運転を他人に任せ、自分は後ろ席に座ったままでいる。」

この言葉との出会いが、今である。私の人生という車は51歳の時に自分で運転し始めた。今も運転している。50歳までは運転を他人に任せて後ろの席で景色を眺めていた。自分で車を運転できるという自信がなかったし、怖かった。

定年退職後のシニアは人生を他人に任せて生きて行く思考が強い。自分で人生を切り開いていく気持ちがない。人生の選択肢があるのに挑戦していない。人生の自動車は自分で運転しないと楽しめない。行きたい場所に行くには自分で人生の車を運転することである。

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