前を歩いている人の靴のカカトを踏んでしまう事件

最近、電車を降りて出口に急ぐ時に前を歩いている人のカカトを踏んでしまうことが増えてきた。素早く、「ごめん!」と謝ってその場を後にするのだが、何故、踵を踏んでしまうのか私自身よくわからない。以前は、他人の踵を踏む事は1年に1回あるか、ないかであった。

これは、老化現象だろうか。前を歩く人の足を踏んでしまうのは前の人に近づいて前進しているときが多い。距離感覚が取りにくくなったのか、自分の歩き方が悪いのか、定かでない。気がついたら前の人のカカトを踏んでいたという感じである。

前の人の踵を踏む

最近は駅構内をスマホ歩きしている女性が多い。歩く速度が周りとちょっと遅い。そんな女性の後ろを歩いていると前の人の踵を踏む可能性が高い。通勤時の駅構内は皆急ぎ足で歩いている。大きな流れは急ぎ足なのだが、流れの中に歩きの遅い女性がいると踵を踏む機会が増える。

老後生活に不安:シニア女性は夫に何を期待するのか?

老後の生活に不安がない高齢者がいるだろうか。極少数の高齢者かもしれない。老人は色々な悩みを抱き始める。必ずしも経済的な悩みだけではない。裕福なシニアでも悩みは多い。悩みがないシニアなんていないだろう。贅沢な悩みと思う悩みもある。深刻な悩みもある。不安は老人にとって余生を活発に生きるための刺激かもしれない。

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スタバのカフェを仕事場として使っていると他人の会話が自然と耳に入ってくる。時々、シニア女性たちのおしゃべりが弾丸のように聞こえる。話題は、老後の生活不安である。今、60歳から70歳代のシニア女性のほとんどが専業主婦である。年金は国民年金だけ。自分に入るお金は夫が他界したときの相続財産と自分の国民年金だけである。

これだけで老後の生活が成り立つシニア女性であれば心配はないが、ほとんどのシニア女性は経済的に貧乏な状態になる。

「幸せな時間は妻と一緒にいる時」と言えるシニア男性はいるか?

家内はノンフィクションが好きだ。映画もそうだ。映画「ダンケルク」を私が見に行くと行ったら、私も行くと言う。家内と一緒に映画鑑賞をするのは、半年ぶりだった。私はいつもサイエンス・フィクションの映画を見る。彼女の好みではないためいつも一人だ。

映画「ダンケルク」は、ダンケルクの戦い(ダンケルクのたたかい、仏: Bataille de Dunkerque, 英: Battle of Dunkirk)は、第二次世界大戦の西部戦線における戦闘の一つで、ドイツ軍のフランス侵攻の1940年5月24日から6月4日の間に起こった戦闘である。追い詰められた英仏軍は、この戦闘でドイツ軍の攻勢を防ぎながら、輸送船の他に小型艇、駆逐艦、民間船などすべてを動員して、イギリス本国(グレートブリテン島)に向けて40万人の将兵を脱出させる作戦(ダイナモ作戦)を実行した。(引用先:ウィキペディア

夫婦二人のシニア料金で平日午前中に横浜のムービル映画館に行った。観客は、シニア男性がほとんどであった。今年、妻も65歳になり年金受給が始まった。妻は私からの生活費と自分の年金でお金持ちになっている。私は69歳になりもうすぐ70歳の声を聞く。私にとってお金の価値よりも妻と一緒に楽しい時間を過ごすほうが大切である。

80歳、90歳に近づけばお金の価値はどんどん下がって行く。お金で何かを買う喜びが消えていくからだ。唯一無二にお金を有効に使えるのは年始にやってくる孫たちにお年玉をあげるときだけかもしれない。または、子どもたち家族と一緒に外食を楽しむときかもしれない。

一方で妻と一緒に楽しい時間を過ごすことに価値が増してくる。伴侶がこの世界にいるうちに一緒にいる時間を楽しむのにお金を使える。自分が稼いで貯めたお金を自分のために使うのは自然である。あえて、子どもたちに残す必要はなく、結果的にそうなるだけ。

還暦になったら必ずやるべき事?

定年退職と還暦を迎える60歳の男性は、肉体的にも精神的にも新しい人生を送るための準備をしなければならない。年齢の影響で会社や仕事が変わる。環境の変化で精神的なストレスが増える。還暦を境に急激に筋肉が衰えてくる。それも知らないうちに。老化現象が体の至る所に見え始める。

60歳になったシニアは、環境の変化と老化現象に対抗するお金と時間の使い方を考える必要がある。

子供っぽさがある女性は何歳になっても魅力的だ

女性の魅力は年齢に関係なくある。私が35歳頃、電車の中にいた親子ずれ(母親と娘)が私の前に立っていた。母親は50歳代、娘は20歳代。私は、なぜか、母親の魅力に惹かれてしまった。本来ならば、若い娘に目が行くのだが。娘も綺麗なのだが、女の魅力というか、母親の大人の魅力というか、理解できない本能で母親に目が行ってしまった。

wife image

年齢に関係なく綺麗な女性はいる。高齢女性が肉体的な美を維持しようとしているが、無理がある。整形を何度もやっても若さは肉体に戻ってこない。肉体的な魅力は年齢とともに消えて行く。高齢女性の美と魅力は外面よりも内面にある。その人のキャラクターというか、個性、性格、生まれ育った品性にある。

一緒にいると何故か楽しくなり、笑いが増える女性は周りの人が自然と集まってくる。それが大人にない子どものような内面的な可愛さかもしれない。このシニア女性とおしゃべりをすると必ず笑いが生まれる。そんな女性は自然と会う人に笑いという魅力を与えている。

子どものような性格をしたシニア女性の魅力は仕草が可愛い。言葉だけでなく、行動も子供っぽくなる。それが自然な形で現れるので引き込まれてしまう。それが魅力である。普通のシニア女性には見られない魅力になる。

言動や行動が子供っぽい大人の女性に一度巡り合うと肉体的な魅力以上に精神面的な魅力に引き込まれる。

電車やカフェにいる美人に見取れてしまうシニア

横浜駅ジョイナス地下街にあるスターバックスで仕事をする事がある。朝の9時頃にスターバックスに来て今日のドリップコーヒーを頼む。この時間にいる女性店員が美しい。細身でいつも口紅が目立つ。目が大きいのも魅力だ。何回かその美人店員にドリップコーヒーを頼むと最近になって私の好みを覚えてくれた。

スターバックスの美人さんイメージ

シニアの楽しみはカフェで働く若者たちとの触れ合いにある

シニアを確実に喜ばせる方法がある。

若い女性・男性と会話ができる機会を作ってあげることだ。シニア男性たちの日常生活には、若い女性たちと一緒にワイワイがやがやする機会がない。いつも周りにいる人達は、同年代の老人たちだ。若い人たちとの接点が老いてくると次第に無くなってくる。

私は、横浜の街なかを歩いている若い女性たちを眺める事が多い。異性への興味は年令に関係なく老人にもある。同じようにシニア男性だけでなくシニア女性にも異性への興味はある。醜い老人よりも若々しい若者たちだ。若さ自体が魅力になっている。

世代間のつながりが現代は失われている。都会であればあるほど若者と老人とに接点が見つからない。これが若い女性となるとお金を払ってキャバクラに行くぐらいしか無い。

シニアが若返るには好奇心を追求して好きな事をする

私を含めて60歳を過ぎると興奮することが少なくなる。面倒なことはやりたくなくなる。新しいトレンドや出来事にそれほど興味を示さなくなる。自分の世界で都合の良い生活をやり始める。

その上、体と精神が確実に衰えていっているのが分かる。心の中は、何か物足りなさを感じている。若い頃以上に感動する機会がない。何かに取り憑かれるような強い感情が起きてこない。人間は、新しいことを学ぶことを忘れると時代の流れに着いて行けなくなり、周りから置いてきぼりになる。それで社会から孤立し孤独を味わい始める。生きがいを感じられなくなると人生の終着駅が見えてくる。

好奇心があるシニアほど喜怒哀楽を味わっている。今年65歳になった私の妻は好奇心でいっぱいである。先日、こんなことを言っていた。従妹の女医さんがいつも旅行で宿泊するホテルがドーミーイン。このホテルは夜泣きそば、湯上りのアイスクリーム、乳酸菌ドリンクなどが無料サービスがあってコスパが良いと妻に話していた。妻はドーミーインの無料サービスに興味津々になった。

5月の連休後にドライブ旅行に行くのだが、泊まるホテルがドーミーイン泊まるホテルがドーミーインになった。

高齢者が生き生きした生活を送るには

一週間が過ぎ去るのが早い。69歳になって自分の寿命が20年、30年もあるとは思っていない。後10年生きられれば79歳。私の感覚では80歳になる前までに多くのシニアが何らかの理由でこの世を去って行く。女性よりも男性である。時間を感じる感覚がその人の生活習慣で違ってくる。

暇な時間をうまく使えないシニア男性は過ぎ去る時間が遅いと感じるかもしれない。何かの目的に向かって時間を使っているシニアは時間が足りないと言って時間が過ぎ去る速度が早いと感じる。暇な生活をしているのか、忙しい生活をしているのかで時間感覚が違う。

毎日、毎日やるべき事が決まっていてそれをこなして行かないと生活が回らないというシニアは幸せかもしれない。一番良いのは年齢と体力にあった時間の使い方である。自分の活動をコントロールできる生活習慣を身につければそれが可能になる。問題は他人が自分の時間をコントロールしている場合である。

自営業で働いているシニアと雇用されているシニアでは時間のコントロール権限が違う。自営業者は自分のライフスタイルに合った時間の使い方を作れる。他人に雇用されて生活をしているシニアはそれが出来ない。仕事が忙しければ、自分の時間がすぐに消えて行ってしまう感覚を持つ。 

高齢者が生き生きした老後を送るには自分に与えられた時間をどのように料理すれば良いかで決まる。

生き生きした時間の使い方を考える

暇よりも忙しい生活のほうが時間を有効に使ったという感覚を覚える。夜寝るたびに明日やるべきことが頭に出てくる。ああやってみよう、こうやって見ようという考えで明日が待ち遠しくなる。そんな日々を送れるような生活習慣を作り出す。何も明日やることがない高齢者は明日が来るのを楽しみにしていない。ただ、時間がゆっくりと過ぎ去るのを待つ。 

70歳を過ぎたシニアが健康障害で病院通いを始めると持病中心の生活習慣が始まる。その中で自分の時間を楽しく使うことを考えないと残り少ない人生の時間を無駄に使うことになる。シニアにとって健康と体力維持は余生を楽しむ上で最低限の条件になる。 

加齢による身体の衰えは時間の使い方を変える。

60歳代シニアが精神的に息詰まった時にやるべき1つの事

60歳代の男性は若くもなく年寄りでもない宙ぶらりんの人生ステージにいる。仕事で退職を強いられ、転職先を探して勤め始めても65歳でまた会社を後にする。仕事探しをするが、年齢が邪魔をする。年金は受給できるが金額が不十分。体力があり、健康であるので何かをして生活費を稼ぎたいと思っているが何をしたら良いかが分からない。そんな状態が続くとため息だらけになる。

精神的な欲求と現実とのギャップで息が詰まる!定年退職をした会社員ならば、欲求と現実とのギャップを誰もが味わう。理想は会社員生活を続けられること。それも自分の職歴が生きる職場となる。そんな欲求が受け入れられないという現実に戸惑う。きっと、自分の実力と職歴で新しい就職場が見つかるはずだと信じていても受け入れる側の会社は別の視点で物事を考えている。

65歳の人材よりももっと若い人材を求める。それを超える魅力が自分にあるかを問われるとそんな才能やスキルがないことに気づく。自分の欲求と現実とのギャップで精神的に行き詰まる。求める解決案はすぐには見つからない。今までの思考を変える必要がある。そのためには違った刺激を脳に与える必要がある。