老いてくる身体とどのように生活を共にするべきか?

90歳を過ぎると自分の命がいつ終わるか心配になる。いつ、思いがけない時に他界するかわからない。同時に自分の体が日増しに老いてくるのを感じる。そんな思いを義父93歳が私に話してくれた。認知症もいつ自分に発症するかもわからない。

自分が年齢と共に信頼できなくなるというか、自信が持てなくなるようだ。もしかの時に困らないよう、義父が大事な書類や情報を私に託してくれた。義母が介護ベッドにお世話になっているので義父だけでは身の回りの事に対応できない。週に一度、私たち夫婦が家内の両親宅に宿泊して身の回りの世話をしている。

今日もそんな日であった。風呂場、トイレ、家じゅうの部屋の掃除、庭の草むしり、買い物、料理、洗濯、介護製品の調達、義母の話し相手など二人でお世話した。

体の老いにどう対応すべきか?

93歳の義父は、老人性難聴、味覚感覚の衰え、足の衰えなどの機能障害がある。体力的には、自分で身の回りの世話(簡単な炊事、衣服の着替え、洗濯など)が出来るが最低限程度だ。体の筋力が衰えて力を要求される家事はできない。

幸い、食欲は旺盛でお酒を飲むこと食べることに関心が強い。

体重も肌の色も健康的だ。普通の老人ではあるが、体全体の機能低下を感じている。知人や友達の多くは、老人ホームでの生活を送っているか、他界している。

93歳で普通の生活を送るのは、私たちの目から見ても大変だと思う。週1回家族の誰かが両親宅を訪問して身の回りの世話をせざるを得ない。義母の介護は、毎日介護ヘルパーが朝と夕にやってくる。日中は、週4回デイサービスのお世話になっている。出来るだけ義父の負担を減らすためにそうしている。

そんな状態であっても今まで当たり前に出来ていた事が徐々に出来なくなって来ている。それを自覚し始めたのだろう。万が一の時に家族が困らないように家族の誰かに自分の身を託さざるを得ない。

息子夫婦は関西にいて私たち夫婦は横浜。東京の義両親宅に一番近いのが私たち夫婦になる。万が一の時に直ぐに対応できるという点で私たち夫婦に自分たちを託すと判断したのだろう。

90歳を過ぎれば、誰でも老化現象が顕著になり自分の体に自信を持てなくなるのは十分考えられる。時間の経過で自分の死を感じ始めているのかもしれない。自分が他界した後の整理を託すものが決まれば、残りの余命を安心して生活できる。

私は、まだ、64歳だが体の老いを感じている。老いに抵抗するため週2回スポーツセンターのジムに通って筋肉トレーニングをやっている。筋力を維持できれば、特に足の筋力を強化できれば、80歳、90歳になっても体を動かす上で不自由を感じさせない。 

筋トレで体全体の体力を強化して行く事で老いに抵抗するしかない。精神的な忍耐力、運動の耐久力の強化はそれほどできないかもしれないが、60歳代の体力は維持できると信じている。

体の5感機能は、対応できないが、筋力にかかわる体の要素は鍛えることで十分対応できると私は思っている。 そのような努力を続けても70歳、80歳、90歳と生き続けて行けば、体は少しづつ壊れていく。壊れて行く時間を延ばせるぐらいだ。

93歳の義父の生活を観察することで自分の老いを垣間見れる。