今週のニューズウィークの表示タイトルが、「一生働く時代」であった。内容は読んでいないが、言いたいことは分かる。人間の寿命が長くなったために今までの社会慣習では上手く行かなくなったのだ。日本では、定年退職が人生の一括りになっているが定年後の人生が長くなっている。60歳で退職してから20年以上生きる高齢者は、何を羅針盤にして生きて行けば良いか分からない人が多い。
でも、
長生きをした人にどのような生活であったかを聞けば良いのではと思う時がある。
人生はこうでなければならないという法則はない!
子供の頃は、両親から良い中学校、高校、大学に入って大企業に就職する道を知らないうちにインプットされていた。または、世間がそのような路線を私たち子どもに植え付けていた。勉強ができないと大人になってから幸せな生活を送れないというイメージが付いて回った。
大学卒業後、会社に入り30代後半まで世の常識のような路線を会社員として送っていたが、色々な理不尽な経験をして今まで教えられて来た事が現実を反映していない事に気が付く。生きざまは人それぞれ違って、幸せの感じ方にも多様性がある事が分かった。色々な世界が世の中にあり、自分が住む世界はその一つである事を知る。
高度成長期に社会人として生活してきた団塊世代のしっぽにいる60歳代のシニアは、人生100年と言われる時代でどのように生きて行こうか迷っている。誰もが100歳まで生きられるとは思っていないだろうが、健康寿命が70歳である現在、少なくとも10年間は普通の生活が出来るシニアが多い。
そんな元気なシニアを社会はこれからどのような取り扱いをするのか興味津々である。
何もしないで時間を無駄にしているシニア
会社を卒業したシニアの多くは、自由になった時間を上手く使えていない。会社の名刺が使えなくなった名無しの権兵衛が自分はいったい誰なんだと自問する。今の私はこの世界で何の役割を果たすために生きているのか考え始める。人生の大先輩たちは、老後の生活方法について何も教えてくれない。
むしろ、教えるというよりも自分で探せといっている。
街中を暇そうにぶらぶらと歩いているシニアは、仕事も遊びも熱中出来ない生活を送っている。会社を卒業してからも引き続き雇用されて一生懸命働いている人は幸せだ。一生懸命自分がやりたい事を追求している人も幸せだ。やりたい事が見えている人は、残りの人生の使い道を知っている。
健康寿命を70歳から80歳まで伸ばせるシニアはこれから多くなってくる。健康志向が広まり、スポーツセンターで筋トレや健康教室に通っているシニアが増えているからだ。今までの高齢者たちとは違う。今の60歳代は、10年若く成っている。健康のために仕事をしているシニアが多い。何かに没頭して動いているシニアは、生き生きしているからだ。
人生に目的があると生きやすい
目をつぶって自分は何をしたら楽しいのか、嬉しいのかを考えてみる事だ。何もないはずはない。例えば、1週間フロリダにあるディズニーワールドで遊んで見たいとか、テキサスのヒューストンでNASAを見学してみたいとか、ポルトガルの田舎町で1か月間民宿に泊まってローカルな生活を味わってみたいとか。
実現できない夢かもしれないが、そんな夢に向かって自分の人生の羅針盤を向ければ何がか生まれてくる。若い人たちと違って自由な時間がシニアに与えれている。生活費を稼ぐ目的で叶えたい夢に向かって働くと毎日が意味を成す。街中を無目的に歩いている高齢者を見ると悲しい気持ちになるからだ。人生に目的があると歩き方も違ってくる。
60歳を過ぎた人の人生は、お手本がないし、お手本を参考にしながら作り出す人生はつまらない。そこには創造性がないし、自分らしさもない。これが私の人生なのだという主張がある生活を送る最後の機会だ。