嫌な老人になりたくないと思っているのに自分で老害をしているときがある。後でそれに気がついて後悔をする。そんな経験がないだろうか。

自分の老害に気がつく前に他人の老害に気がついてしまう。横浜の街中を歩いているとそんな老害を撒き散らしている老人たちに出会う。数人で肩を組んで大声で喋りながら歩道を歩いている。後ろにいる人たちの事を気遣う様子もない。高校生のグループと同じである。

高齢者は変化と刺激を求めて外出している。外出することで足の健康を維持しようとしている。老人の人口が増えていることが肌で感じる。目的もなくデパートの中で足を休めている老人を見る。

老人たちすべてが品があり、周りに気を使っている人たちではない。暇な老人たちほど街中で目立つ。

70歳を過ぎる頃から体の調子が悪くなり医療費の負担が重くのしかかる。年金生活では、医療費の負担が大きい、小さいで娯楽に使えるお金が減る、増えるにつながる。体が健康で病気にならない老人は、お医者さんには縁がない。年に1回の健康診断だけだ。そんな老人が増えていけば、老人医療の問題は減少するのだが現実は逆である。

70歳を過ぎると病院に通う老人が増えてくる。原因がわからない体調不良で病院通いが増える。医療費の負担が毎月発生する。なんとか体を健康な状態にして要らない医療費の負担を無くしたいと思うのは私だけではないなずだ。

医療費を少なくするには意識して病気に強い健康的な体作りをするしか無い。

65歳で会社を卒業し、パートやアルバイトの仕事につくシニアが多くなる。65歳はまだ若いし、働ける身体であるからだと思う。仕事があれば、お金を老後のために貯めながら現状の生活を維持できる。収入は減るが、それを補う年金収入が手に入る。

60歳代で働けるうちはお金を稼ぐことが老後の生活で優先されるのだが、70歳を過ぎる頃から加齢による健康障害が出始める。体力と免疫力が急降下して病院通いが始まる人が多い。パートもアルバイトも健康障害で出来なくなる。お金を稼ぐことよりも自分の健康を維持することに頭が一杯になる。

お金稼ぎは老後の生活に潤いと心の余裕と安心を与えるのだが、今まで当たり前と思っていた健康で問題が起きる。健康はお金で買えるのか?それは疑問である。

今の生活は、夫婦二人だけの生活である。子どもたちは大人になり、独立した人生を送っている。初孫が生まれおじいさん、おばあさんになった。日々の生活は各自のライフスタイルを追求した生活になっている。私はインターネットの仕事で平日は外出。家内はピアノの個人教授と新しい曲への挑戦、そして、隣人の奥様たちとのおしゃべりで時間が過ぎて行く。

今の生活が私達夫婦にとって「普通の生活」になっている。まだ、二人とも60歳代であるので健康で体力がある。60歳代は人生のご褒美を自分たちにあげる年代ではないかと感じている。健康な身体があれば、好きなことが出来る。これが70歳、80歳代になると健康障害で身の自由が制限され始める。「普通の生活」が成り立たなくなる。 

残りの人生、後10年から40年の間に運命に従った生活が始まる。老化は避けられない。身体が不自由になれば、他人の手を借りた生活になり、今のような「普通の生活」が楽しめなくなる。子どもたちの独立と同時に自分の人生を楽しむことに集中できる。個人差はあるが、少なくとも子供のことは一時的に忘れることが出来る。夫婦二人だけで一緒に楽しめる60歳代を無駄にしたくない。

Glaucoma

白内障と緑内障は歳を追う毎に発症するリスクが高くなる。白内障は、水晶体を人工水晶体に代えることで治せるが緑内障は未だに治すことが出来ていない。私は38歳の頃に緑内障になった。人間ドックの眼底カメラ検査で発症していることが分かった。自覚するほど症状が出ていなかった。

それから23年が経過した。病気の進行を遅らせるキセラタンという点眼液しか手段がない。眼圧も正常の範囲なのだが網膜の神経が死んでいっている。

23年経過して私の視野はどうなったのか?

image

このリュックはいつも私が背負っている物である。ノマドワーカーは仕事に必要な道具を持参してお好みのカフェで仕事をする。帰りが夜遅くなる場合がある。街灯がない帰り道を歩いていると後ろから自動車が何台もやって来る。私もマイカーを運転するので夜、突然、歩行者が前方に見える時がある。ハッと思って歩行者を避けて通過する。

夜道の散歩する老人は後ろから自動車に引かれる危険性がある!

60歳で定年退職のシニアが多い。小学校から大学まで学校生活を体験し、会社勤めを22歳から60歳までする。会社勤めが学校の延長線のような生活である。学校では授業料を支払い、会社では給与を頂く。会社での生活が1日の時間の大部分を占めている。

定年退職後、1日の大部分の時間がポカ~ンと空いてしまう。自由になれた喜びとあまり余った時間の使い方に戸惑う。 定年退職後の計画が出来ているシニアとそうでないシニアでは時間の使い方で大きな差が生まれる。再就職先を探して働き始めても65歳、70歳で雇い止めになるのは目に見えている。その後どうするかを考えていないシニアが多い。

会社員特有の流れに任せる人生を続ける定年退職者が多い。自分の人生を他に任せにしている感じである。今、自主的に自分の人生を組み立てる準備をするタイミングにいる。自分は一体何をして余生を楽しむのか?何をやっていれば幸せを感じるのか。60歳になった時点でそんなことを真剣に考えて準備すべきである。

子供が巣立ったシニア夫婦は、この5月の連休をどう楽しもうか考えている。海外旅行は昨年行った。国内の観光地は混む。その上、海外からの訪日客で溢れている。人がまばらなのは、大都会の街中である。自動車ではなく自分の足で歩いて楽しむならば東京都内の名所巡りしかない。

自動車で都内を走っていると面白い発見に気が付かないで通り過ぎてしまう。自分の足で都内を歩き回ると今まで気づいていなかった名所に出くわす。洒落たカフェやレストランの発見もある。街は歩いて味わうものだと思う。

今度の5月の連休は10日間ある。誰もがその使い方に悩み始める。若者や若い家族らは、海外旅行に出かける。曜日感覚がなくなっているシニアはどうするのか。毎日が日曜日の生活であるので10日間の連休はあまり意味がない。

一つだけ意味が生まれるのは、働いている人が少ない大都会を散策することではないか。いつもの自宅周辺の散歩を都会に変えて名所巡りをする。

いつも混んでいる名所や人気レストランは空いている

スターバックスで仕事(カフェを仕事場として使っている意味)をしていると4,5歳の子供を連れた若いお母さんたちがやって来る。息抜きで井戸端会議をするためだ。母親たちは、話に夢中になり幼児たちから目が離れてしまう。子供たちはこの時とばかりに大声を出して走り回る。

60歳を過ぎたシニアは、突然の子供たちの大声でびっくりする。静かに仕事をカフェでしていたのにこの騒ぎはどうしたことかと。幼児の騒ぎが一時的であれば、精神的に耐えられるが15分以上続くと忍耐力が無くなる。

老人が幼児の大声で切れる一歩手前まで来る。大人げない話であるが、老化現象で昔ほど耳に響く幼児の声に耐えられない。周りのお客を見てもお手上げの顔をしている。幼児であるからどうしようもないと。

これは、母親の責任である。母親は他のお客の迷惑を感じ取らねばならない。

幼児や子供の騒ぎ声でシニアの忍耐力をテストする!

定年退職で慣れ親しんだ仕事を失う不安と再雇用が終わる65歳で新しい仕事を探す不安に違いがある。60歳で同じ会社で再雇用される会社員は、再雇用契約で子会社で違う仕事をする場合が多い。今までの仕事は勝手が違う。仕事環境はすごく変わる。新しい環境に自分が精神的に適応できるか不安になる。

65歳で再雇用が終わる。同じ職場で時間給のアルバイトができる会社もあるがほとんどの会社は雇止めをする。雇止めをされた65歳のシニアは、新しい職を求めるのだが見つからない。自分の居場所が外で見つからない不安が生まれる。 

60歳と65歳で感じる仕事への不安

Search

高齢者の本音RSS

Related web

筋トレが続かない、どうすれば良いか!

インターネットビジネスのビジネスモデルを助言ます 起業、副業でインターネットビジネスを始める方にお役に立ちます

Joomla CMSで作る情報発信サイト

筋トレが続かない!

シニアの生き方

シニアの生き甲斐、仕事、健康

シニアが稼ぐ

Search