スターバックスで仕事(カフェを仕事場として使っている意味)をしていると4,5歳の子供を連れた若いお母さんたちがやって来る。息抜きで井戸端会議をするためだ。母親たちは、話に夢中になり幼児たちから目が離れてしまう。子供たちはこの時とばかりに大声を出して走り回る。
60歳を過ぎたシニアは、突然の子供たちの大声でびっくりする。静かに仕事をカフェでしていたのにこの騒ぎはどうしたことかと。幼児の騒ぎが一時的であれば、精神的に耐えられるが15分以上続くと忍耐力が無くなる。
老人が幼児の大声で切れる一歩手前まで来る。大人げない話であるが、老化現象で昔ほど耳に響く幼児の声に耐えられない。周りのお客を見てもお手上げの顔をしている。幼児であるからどうしようもないと。
これは、母親の責任である。母親は他のお客の迷惑を感じ取らねばならない。
幼児や子供の騒ぎ声でシニアの忍耐力をテストする!
若い母親たちは、幼児の声に慣れているというか、抵抗力があるというか、動じない。私のような仕事(インターネットビジネス)をしていると静寂を求めるので一瞬雷が耳元で落ちたような気分になる。幼児の声は、本能で母親に伝わりやすい音域になっている。そのため、音の伝導が凄く良い。遠くからでも声が聞こえるようになっている。
英語のidiomにこんな表現がある。
"Children should be seen and not heard"(子どもは姿は見せても声を出してはいけない。子どもは大人の前でみだりに口を利いてはならない)という諺なのだが、この背景は子供の声がやかましいと言う事だ。
老いてくると子供との触れ合いが少なくなると言うか、ほとんど無くなる。孫が生まれて大きくなるまではそうだ。耳が聞こえづらくなれば子供の声に驚かされないのだが、まだ聴力は衰えていない。60歳を越えると響くような幼児の声に絶えられなくなる。忍耐力が衰えてきているからだろう。
家内の両親は健在で90歳代と80歳代だ。家内は両親に負担をかけないようにひ孫たちに騒がないよう言い聞かせるのだがひ孫は理解できていない。私でさえ子供たち声の響きに驚かされるぐらいだから、家内の両親はもっと驚かされているのではないか。長い間、ひ孫たちと一緒にさせないようにしたらしい。
自分自身が大きな声で話しているときは子供の声が気にならない。当然と言えば当然だが。静かなカフェで突然やって来た子供ずれの一向に静寂を乱された途端に気分が悪くなる。こんな感じ方は私だけであろうか。
子供たちが大勢集まって騒ぎ出したら、逃げるしかない!別のカフェで仕事を続けるという判断をしなければならない。「泣く子と地頭には勝てぬ」ではないが、道理で争っても勝ち目はない。道理の通じない相手には、黙って従うしかない・・・で近寄らない事だ。
それにしても、歳を取って来て子供の声でビビる自分が恥ずかしい。それほど、忍耐力が落ちてきたのかと自覚せざるを得ない。街中で切れるモンスター老人という話題が広がっている。忍耐力を失った老人がちょっとした事で耐えられなくなり身勝手な言動と行動をしてしまう。
我慢が出来る老人と我慢が出来ない老人がいると思うのだが、住む環境によってストレスを常に感じていれば切れる老人になるのではないか。新しく保育園や幼稚園を作ろうとすると近くに住む高齢者の住民が建築の反対をする。その理由が分かる。昔は、そんな事はなかった。
時代とライフスタイルが変わった!子供が沢山家にいた大家族から子供がいない夫婦の家になったからだろう。子供に対する免疫力が時代の変遷で落ちてきている。