気がつけば、あっという間に古希を迎えていた。振り返ってみると、若い頃はただひたすらに前を向き、仕事や目標に邁進する毎日だったように思う。人から認められたい、成功したいという思いが強く、常に何かを追い求めていた。しかし、70歳という節目を迎え、ようやく気づいたことがある。それは、何気ないと思っていた日常の中にこそ、かけがえのない豊かさや喜びが 隠されていたということだ。
色々な人と会って話をする機会が減った。営業活動を辞めて自由気ままに仕事をしているからである。70歳という年齢が自分の余命期間が少ないという意識を強める。生活する上でお金がもっとほしいという欲が少なくなった。老いて強欲な人間になるとお金の魔力に食われてお金を失う羽目に落ちる。
幸せは足元に落ちていると感じている。お金が沢山あれば幸せか。お金に困っている人にとってはお金がもっとほしいと思うのは自然。食べて行く上で困らない経済状態であれば、お金のことで普通の生活を乱さないことである。良く引き出される例がある。
有名人には有名税があり、自由とプライバシーがなくなる。普通の人が当たり前に味わえる自由とプライバシーに制約がかかる。群衆の中で埋もれて誰だか分からない人のほうが自由と幸せを見つけやすい。ここで一度自分の幸せについて考えてみてはどうか。
幸せの感じ方
人の運命は分からない。頭の中で想像しているような人生は誰も送ることは出来ない。幸せの感じ方も一瞬である。それがずっと続かない。私の人生にもピンチが何度もあった。でも、面白いことにそれらのピンチがチャンスにつながっていた。それが後で分かるのが面白い。その時はそれが分からない。必ず、後である。
そんな人生を70年間送ってきて社会のしがらみから解き放され自分の生活を作って生きている。ただ、食べて生きていければ幸せだと思えば、必要以上のお金はいらない。お金にコントロールされることが少なくなり、本来の欲求を追い求められる。
年金と貯蓄で慎ましく生きていくだけで幸せを感じる生活をすれば良いだけである。
若い頃追い求めていたものと今の価値観
若い頃の私は、どうしても目に見える成功や、他人から羨ましがられるようなものを追い求めていた。ブランド物のビジネスバッグ、高級レストランでの食事、華やかな海外旅行。もちろん、それらを手に入れた時の喜びは確かにあった。しかし、今の私が本当に大切に思えるのは、朝、穏やかな光の中で目覚め、隣にいる妻の温もりを感じる瞬間、庭でひっそりと咲いた季節の花の美しさ、近所の公園をゆっくりと散歩する静かな時間、孫たちの無邪気な笑顔、そして、食卓を囲んで家族と交わす他愛ない会話といった、ごく普通のことばかりである。
あの頃追い求めていた外向きの欲求は、いつの間にか内面の充足へと変化していった。他人からの評価よりも、自分の心が穏やかであること、日々の小さなことに喜びを見出せることの方が、今の私にとってはずっと重要なのだ。
今、心から良いと思えること
一日の始まりは、温かいコーヒーと共にゆっくりと過ぎていく。朝日が部屋に差し込むのを感じながら、香りに包まれるカップを手に持つ。かつては、仕事へ行く前の慌ただしい時間の中での単なるカフェイン補給だったかもしれない。この瞬間が、今は心静かに自分と向き合う大切な時間になる。
庭の手入れも、若い頃には考えられなかった喜び。土の感触、 植物の息吹を直接感じ、小さな芽が顔を出した時の感動、 努力 が実り、美しい花が咲いた時の喜びは、何にも代えがたい。
近所の公園をゆっくりと散歩する時間も、私にとって特別なもの。春の柔らかな新緑、夏の力強い緑、秋の色彩豊かな紅葉、そして冬の静寂。それぞれの季節が持つ独特な 表情は、歩くたびに新しい発見を与えてくれる。顔見知りになった近所の人たちとの友好的な会話も、 日常に彩りを添えてくれる。
孫たちの朗らかな笑い声は、何よりも私の心の活力剤。 子供の無邪気さ、 純粋さに触れると、自分が忘れてかけていた大切なものを思い出す。一緒に遊んだり、絵本を読んだりする時間は、私にとってかけがえのない宝物。
そして、一日の終わりには、家族と囲む温かい食卓がある。豪華な料理でなくてもいい。 質素な家庭料理をみんなで分かち合うことに、本当の意味がある。 味はもちろんのこと、交わされる言葉、 目と目のコミュニケーションが、私の心を温かい気持ちで満たしてくれる。
当たり前だったことの尊さ
若い頃は、健康であること、家族がそばにいること、温かい家庭があることなど、あまりにも当たり前すぎて、その尊さに気づくことはなかった。しかし、年齢を重ね、 体力の衰えを感じたり、 親しい人々との別れを経験したりする中で、 これらのシンプルなことこそが、人生の土台であり、 最も大きな富だったのだと痛感する。
今では、 これらの些細なこと一つ一つに感謝の気持ちが湧き上がってくる。朝、何事もなく目が覚めること、美味しいと感じる食事があること、 温かいお風呂に入れること。かつては当然のことだと思っていた日常が、 今では偉大な宝物に思える。
若い頃の自分に伝えたいこと
もし、若い頃の自分に会えるなら、私はきっとこう伝えるだろう。「そんなに焦らなくてもいいんだよ。目の前の日常をもっと大切に生きなさい。 真の幸せは、遠くにある特別なものではなく、君のすぐそばにあるんだから」と。
人生はシンプルなメロディー
人生は、 複雑なパズルのようにも思える時もあるけれど、 実際には 、 単純なメロディーの繰り返しかもしれない。そして、その単純なメロディーの美しさに気づき、心静かに耳を傾けることこそが、豊かに生きるということなのだろう。
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結論
これからも、この普通の生活の中で、 新しい喜びや美しさを発見しながら、穏やかに、そして感謝の気持ちを忘れずに生きていきたいと思っている。そして、この文章を読んでくださった皆様にも、 日常の中に隠れている小さな幸せを見つける目を持って、豊かな日々を送ってほしいと心から願っている。
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