シニアのささやかな楽しみ方:自分を楽しませる方法を見つける事

毎朝、仕事に出かける時に出会う老人がいる。駅近くにあるスーパーに毎朝買い出しに行っている老人だ。駅に向かう私と買い物帰りの老人とすれ違う。老人の手には、大きいサイズのビール缶2本とおつまみのお菓子がビニール袋に入っていた。彼は、毎朝、スーパーに買い出しに行く。足を鍛えるためにそうやっているのだと思う。

もう、80歳を越えている老人に見える。一人で買い物だから一人で生活をしているのだろう。彼のささやかな楽しみは好きなビールとおつまみのお菓子でテレビを見る事では?・・・と想像している。誰にでも一人で楽しむ時間がある。

年齢が70歳、80歳、90歳になるまでひとり暮らしを始めざるを得ないシニアが増える。ひとり暮らしは寂しい。誰もがそう思う。そんな暮らしが将来の自分を待ち構えていると分かっているならば、何か策を考えてひとり暮らしを楽しむようにしなければと思う。

好きなことがあるシニアは好きな事に没頭すれば良いのではないか。特にこれといった趣味がなければどうすれば良いのか。老後の生活は自分を楽しませることを見つけて、それに溺れることではないか。楽しめることを楽しむという自由が与えられるのは仕事から解放された老後の時間だけである。

最近の楽しみはこんな写真をインターネットで探して眺めることである。見るだけはタダ!

きれいなお尻の形とパンツ

backstyle ショーツラインが見えるのがなんとも言えない

後ろ姿が魅力的

ささやかな楽しみの時間を大切にする!

80歳を越える老人は、ビールとお菓子で自分の時間を楽しむ。私は、どうだろうか。月に1度、家内は実家にいる両親のお世話で外泊する。そんな時は、自由に私は自宅を使える。家内が外泊する日は、仕事を早めに切り上げて自宅に帰る。帰る途中でスーパーに立ち寄り、好きなポテトサラダとくし団子、そして、歩きながら飲むビールを買う。

いつもは家内の生活リズムに従った生活をしているため、自宅に早く帰られないルールが我が家にある。ピアノを子供や大人に教えているため夜の19時前まで帰宅厳禁なのだ。そのルールから解放される時が妻の外泊の時だ。

夕食は好きなものだけをそろえる。料理が出来ないというか、料理を自分でする習慣が作れないうちに育ってしまったシニアだからだ。その時に食べたいお惣菜を買ってきたり、近くにある「かつや」でとんかつ弁当を買ったりしている。時には、ピザを取ったりする。

ささやかな楽しみは妻が作るルールをやぶる事

家内は2台のテレビを同時に見る特技がある。そのため、見たい番組が二つあると私はテレビを楽しめなくなる。そんな制約も妻がいない日は無くなる。ビデオに撮った録画を思う存分に楽しめる。くし団子を食べながら録画を見るのだ。お酒が強くない私なので缶ビール一つで酔いが回る。非常にコスト安な人間である。

ほろ酔い気分で録画番組を視聴しながらおつまみのお菓子を食べる。いつも、お腹いっぱいになってしまう。食べたいと思ったものが食べれない欲求がこの時に出てしまう。

自宅で夕食を食べない時は、下車駅の近くにある焼き鳥の立ち飲み処で焼き鳥、生ビール、枝豆を楽しむ。仕事帰りに飲み屋に立ち寄る習慣がない私であるので時々焼き鳥屋に顔を出す。

こんなささやかな楽しみは、家内がいるから味わえるのだと思う。一人になったら、こんなささやかな楽しみが楽しみにならなくなる。いつでも出来てしまうからだ。

独身時代の私は、SF映画が大好きであった。時間があれば、SF映画を見つけて見に行っていた。映画を除けば、何もないかもしれない。誰もがいつかは孤独な生活を送ることになる。そんな時に自分を楽しませるささやかな時間の作り方を知っていると孤独を紛らわせる事が出来る。

性的な興奮は肉体の老化とともに消えていく

生殖本能は若い人の特権である。70歳である私は既にお役目御免の状態。子供があり、孫がいる。私の生殖機能は正常に働き、生き物としての本能を全うしている。神は生物が生きながらえるように生殖活動に喜びを与えている。快感という喜びが生殖行動に伴う。その快感が老いとともに消えて行く。

老いても性的な快感を楽しめるならば、その快感を求めて一人遊びをするのだが、老化現象でそれが難しくなる。若い頃は一人で寂しい思いをしているときにオナニーをして快感を味わうのが当たり前であった。老人になった今は同じことが出来難くなる。

唯一性的な快感を知覚的に味わえるのは性的な興奮を感じさせてくれる美しい、セクシーな女性の姿である。

beautiful back

結論

一番良い事は好きな事に没頭する事だ。自分でコントロールできる範囲で自分を楽しませる事を今から作り出す。これからのシニアは自分を楽しませる方法を早めに見つける事である。