足が衰える恐怖は死が近づいてくる恐怖!

足が衰えて不自由をしている老人をたくさん街中で見かける。自動車を運転しながら見かける老人。道路をゆっくり杖を突きながら渡っている。個人差はある。手押し車(シルバーカー)を押しながら歩いているおばあさんも多い。何故か、男性は手押し車を使っていない。見かけるのは女性だけだ。

老人になる=歩けなくなる! 自由に歩けなくなる老人の生活は不自由な生活。死に向かっている豪華客船に乗船する事になる。

unable to walk

自分で歩けなくなると死が待ち構えている!

老人が歩けなくなると自分で生活を維持できなくなる。孤独死がこれから多く発生する。昔から歩けなくなって寝込む生活になると死ぬの早いと言われる。 

赤ん坊のように誰かが面倒を見なければ生きて行かれないという事。家族がお世話をしてくれると期待しても限度がある。私が歩けなくなったら、どうしたら良いか今から戸惑っている。 

70歳でまだ体力がある。20年先に足の筋肉が衰えて歩けなくなったら移動ロボットに助けてもらうしかない。そうなる前に今から自分の足を鍛え続ける習慣を身に付けるしかないと強く思っている。

足を積極的に使う生活にする。気をつけることは足を楽にさせる文明の利器に誘惑されること。エスカレーターやエレベーターは典型的な誘惑になる。私は極力使わない。階段を使う事をいつも意識している。足を鍛えなかった老人たちが街中で不自由な生活を強いられている現実を見ている。 

何事も体が資本、足を鍛える習慣

老人になっても元気な生活を送っている人も多い。元気な老人は、足に障害がない。歩くだけでなく走る事も普通の人のようにできている。あまりにも個人差があり過ぎる。足で障害を持たない元気な老人は、自分たちの生活の中で自然と足を鍛える習慣を身に付けている。 

足の筋肉の衰えが或る一線を過ぎると自分で歩行が出来なくなる。その状態になる前に足の筋肉を鍛える生活習慣を身に付けないと危ない!老いても普通の生活をしたければ、まず、自分の足を鍛えて筋肉の衰えを止める事である

意識して足を使う。自分の足で動き回る。階段を上がり降りする。エスカレータに乗らない。自動車に乗っている時間が多いと足は確実に衰える。足は第二の心臓である。第二の心臓が衰えると死が近づいてくる。 

足を不自由にしている老人を見てほしい

足を不自由にしている老人を見るたびに自分の老後を不安視する。そのような恐怖が自分の身に振って来ないよう歩く事に重点を置いている。足をやられた老人は時間の問題で棺桶に引き込まれる。健康寿命を延ばしたければ、足の筋肉を増やせだ!

体の筋肉を増やすには、蛋白質が多い食物を毎日食べて歩き回る生活習慣を身に付ける事。足に負荷を与えて筋肉痛を起こさせれば、筋肉は増えて行く。筋肉痛がない運動は筋肉を増やさない。 

体重が重い老人は、自分体重で足が動かなくなる。立っている事も辛くなる。そんな老人を実際に見かけている。まだ、70歳代の方。誰が見ても太り過ぎの老人。食習慣と運動習慣がバランス良くなっていないと自分で自分を殺してしまう。今からでも遅くないので足を楽にさせる生活習慣を止める事である!

シニアは脚力の衰えを感じて慌てる

ちょっと歩くだけで体が疲れ始める。自宅でつまずくことが多くなる。駅の階段の昇り降りが面倒に感じ始める。普通に歩いているのに他の歩行者がどんどん追い抜いていく。ある日ある時に自分の足がおかしいと気づく。その原因を探り始めるとこんな現実を知ることになる。

シニアの筋肉量が年間1%づつ気が付くこと無しに減少していく。その影響がシニアの脚力にすごく影響する。一般的に毎日散歩をすれば大丈夫と思いこんでいる人が多いが、現実はちょっと違う。毎日散歩を続けていてもシニアの筋肉量は減っていく。あるポイントで歩くことに苦労し始める。

シニアの裸の体を眺めてほしい。筋肉が目立っていた部位(足、胸、腕)で筋肉が消えて骨と皮になっている。太ももが太ももでなくなっているくらい細い。そんな自分の体を見て誰もが慌てる。私は筋トレでスポーツセンターに通っている。ロッカールームで70歳の自分の肉体と80歳代のシニア男性の肉体を比べてみることがある。10年の違いは歴然としていた。80歳代のシニアの体に筋肉の盛り上がりがない。筋肉の損失で皮膚が垂れている。

老いてくると自分の体に変化が出てくる。見た目で筋肉の損失。体感で歩くときの疲れ。肉体を若返らせることは簡単には出来ないが、失われた筋肉量を取り戻すことはできる。筋トレを生活習慣にすれば、時間の問題で筋肉量は回復していくし、それ以上の筋肉を得られる。

老人ホームは死に向かう豪華客船

月に2回ほど義母が入居している老人ホームに夫婦で面会に行く。義母の部屋に行く途中に食堂がある。食堂にはいつも数人ぐらいの入居者たちが座っている。おしゃべりをしている女性や寝ている女性、テレビを見ている老人など。彼らを見ていると車椅子に乗っている老人が多い。94歳になる義母も車椅子状態である。

彼らの生活は隔離された世界である。自由に外出できるのだが、自分の足で動けない。動けるのは車椅子げ行ける範囲である。生活に必要な環境や設備はすべて提供されている。豪華客船に乗船して海外旅行に出かける感じである。一度船出すると二度と陸地には戻ってこれない。豪華客船は死に行く老人たちを乗船させている。

死に向かう豪華客船に乗るためにシニアたちはお金をためている。老人ホームに行くたびに死に向かう豪華客船を思い出す。

結論

私達が日常に見かける老人たちは自分の足で歩いている人たちである。足の筋力が衰えて杖無しで歩けない老人は外出する範囲が自宅周辺に限られる。脚力が衰えた老人は横浜駅周辺を元気よく歩けない。歩行困難な老人が私達の日常から見えなくなっている。

老人たちは知っている。脚力の衰えで自活ができなくなり、老人ホームでの生活になり、そこで死を待つことを。野生動物は老いて歩けなくなると獲物や食べ物が得られなくなり餓死する。人間の場合は死に向かってソフトランディングプロセスがある。

私にとって老人ホームは「死に向かっている豪華客船」である。できるだけ豪華客船に乗船しないで死にたい。脚力を最後の最後まで維持する。歩ける自由がある限り、自分の世話は自分でできる。シニアの人は自分の足で歩けなくなったら死が近づいてくるということを頭の隅に刻み込むと良い。