妻の立場を考えてみた。専業主婦で収入がない。一人でお金を稼いた経験がない。お金は夫が作ってくる。夫が他界したら、収入が途絶える。唯一の収入は、妻の年金と夫の遺族年金、そして、夫が残した財産のみになる。
女性の寿命は87歳前後である。私の妻の家系は長寿の家系である。多分、90歳近くまで生きられる運命かもしれない。十分な収入が妻に入ってこないのは目に見えている。そんな現実を夫は知らねばならない。自分の人生だけを考えるのは無責任である。後に残る者の人生を考慮しながら老後の人生を考える。
妻の立場を考えてみた。専業主婦で収入がない。一人でお金を稼いた経験がない。お金は夫が作ってくる。夫が他界したら、収入が途絶える。唯一の収入は、妻の年金と夫の遺族年金、そして、夫が残した財産のみになる。
女性の寿命は87歳前後である。私の妻の家系は長寿の家系である。多分、90歳近くまで生きられる運命かもしれない。十分な収入が妻に入ってこないのは目に見えている。そんな現実を夫は知らねばならない。自分の人生だけを考えるのは無責任である。後に残る者の人生を考慮しながら老後の人生を考える。
スターバックスで仕事(カフェを仕事場として使っている意味)をしていると4,5歳の子供を連れた若いお母さんたちがやって来る。息抜きで井戸端会議をするためだ。母親たちは、話に夢中になり幼児たちから目が離れてしまう。子供たちはこの時とばかりに大声を出して走り回る。
60歳を過ぎたシニアは、突然の子供たちの大声でびっくりする。静かに仕事をカフェでしていたのにこの騒ぎはどうしたことかと。幼児の騒ぎが一時的であれば、精神的に耐えられるが15分以上続くと忍耐力が無くなる。
老人が幼児の大声で切れる一歩手前まで来る。大人げない話であるが、老化現象で昔ほど耳に響く幼児の声に耐えられない。周りのお客を見てもお手上げの顔をしている。幼児であるからどうしようもないと。
これは、母親の責任である。母親は他のお客の迷惑を感じ取らねばならない。
最近、電車を降りて出口に急ぐ時に前を歩いている人のカカトを踏んでしまうことが増えてきた。素早く、「ごめん!」と謝ってその場を後にするのだが、何故、踵を踏んでしまうのか私自身よくわからない。以前は、他人の踵を踏む事は1年に1回あるか、ないかであった。
これは、老化現象だろうか。前を歩く人の足を踏んでしまうのは前の人に近づいて前進しているときが多い。距離感覚が取りにくくなったのか、自分の歩き方が悪いのか、定かでない。気がついたら前の人のカカトを踏んでいたという感じである。
最近は駅構内をスマホ歩きしている女性が多い。歩く速度が周りとちょっと遅い。そんな女性の後ろを歩いていると前の人の踵を踏む可能性が高い。通勤時の駅構内は皆急ぎ足で歩いている。大きな流れは急ぎ足なのだが、流れの中に歩きの遅い女性がいると踵を踏む機会が増える。
老後の生活に不安がない高齢者がいるだろうか。極少数の高齢者かもしれない。老人は色々な悩みを抱き始める。必ずしも経済的な悩みだけではない。裕福なシニアでも悩みは多い。悩みがないシニアなんていないだろう。贅沢な悩みと思う悩みもある。深刻な悩みもある。不安は老人にとって余生を活発に生きるための刺激かもしれない。
スタバのカフェを仕事場として使っていると他人の会話が自然と耳に入ってくる。時々、シニア女性たちのおしゃべりが弾丸のように聞こえる。話題は、老後の生活不安である。今、60歳から70歳代のシニア女性のほとんどが専業主婦である。年金は国民年金だけ。自分に入るお金は夫が他界したときの相続財産と自分の国民年金だけである。
これだけで老後の生活が成り立つシニア女性であれば心配はないが、ほとんどのシニア女性は経済的に貧乏な状態になる。
家内はノンフィクションが好きだ。映画もそうだ。映画「ダンケルク」を私が見に行くと行ったら、私も行くと言う。家内と一緒に映画鑑賞をするのは、半年ぶりだった。私はいつもサイエンス・フィクションの映画を見る。彼女の好みではないためいつも一人だ。
映画「ダンケルク」は、ダンケルクの戦い(ダンケルクのたたかい、仏: Bataille de Dunkerque, 英: Battle of Dunkirk)は、第二次世界大戦の西部戦線における戦闘の一つで、ドイツ軍のフランス侵攻の1940年5月24日から6月4日の間に起こった戦闘である。追い詰められた英仏軍は、この戦闘でドイツ軍の攻勢を防ぎながら、輸送船の他に小型艇、駆逐艦、民間船などすべてを動員して、イギリス本国(グレートブリテン島)に向けて40万人の将兵を脱出させる作戦(ダイナモ作戦)を実行した。(引用先:ウィキペディア)
夫婦二人のシニア料金で平日午前中に横浜のムービル映画館に行った。観客は、シニア男性がほとんどであった。今年、妻も65歳になり年金受給が始まった。妻は私からの生活費と自分の年金でお金持ちになっている。私は69歳になりもうすぐ70歳の声を聞く。私にとってお金の価値よりも妻と一緒に楽しい時間を過ごすほうが大切である。
80歳、90歳に近づけばお金の価値はどんどん下がって行く。お金で何かを買う喜びが消えていくからだ。唯一無二にお金を有効に使えるのは年始にやってくる孫たちにお年玉をあげるときだけかもしれない。または、子どもたち家族と一緒に外食を楽しむときかもしれない。
一方で妻と一緒に楽しい時間を過ごすことに価値が増してくる。伴侶がこの世界にいるうちに一緒にいる時間を楽しむのにお金を使える。自分が稼いで貯めたお金を自分のために使うのは自然である。あえて、子どもたちに残す必要はなく、結果的にそうなるだけ。
定年退職と還暦を迎える60歳の男性は、肉体的にも精神的にも新しい人生を送るための準備をしなければならない。年齢の影響で会社や仕事が変わる。環境の変化で精神的なストレスが増える。還暦を境に急激に筋肉が衰えてくる。それも知らないうちに。老化現象が体の至る所に見え始める。
60歳になったシニアは、環境の変化と老化現象に対抗するお金と時間の使い方を考える必要がある。
女性の魅力は年齢に関係なくある。私が35歳頃、電車の中にいた親子ずれ(母親と娘)が私の前に立っていた。母親は50歳代、娘は20歳代。私は、なぜか、母親の魅力に惹かれてしまった。本来ならば、若い娘に目が行くのだが。娘も綺麗なのだが、女の魅力というか、母親の大人の魅力というか、理解できない本能で母親に目が行ってしまった。
年齢に関係なく綺麗な女性はいる。高齢女性が肉体的な美を維持しようとしているが、無理がある。整形を何度もやっても若さは肉体に戻ってこない。肉体的な魅力は年齢とともに消えて行く。高齢女性の美と魅力は外面よりも内面にある。その人のキャラクターというか、個性、性格、生まれ育った品性にある。
一緒にいると何故か楽しくなり、笑いが増える女性は周りの人が自然と集まってくる。それが大人にない子どものような内面的な可愛さかもしれない。このシニア女性とおしゃべりをすると必ず笑いが生まれる。そんな女性は自然と会う人に笑いという魅力を与えている。
子どものような性格をしたシニア女性の魅力は仕草が可愛い。言葉だけでなく、行動も子供っぽくなる。それが自然な形で現れるので引き込まれてしまう。それが魅力である。普通のシニア女性には見られない魅力になる。
言動や行動が子供っぽい大人の女性に一度巡り合うと肉体的な魅力以上に精神面的な魅力に引き込まれる。
横浜駅ジョイナス地下街にあるスターバックスで仕事をする事がある。朝の9時頃にスターバックスに来て今日のドリップコーヒーを頼む。この時間にいる女性店員が美しい。細身でいつも口紅が目立つ。目が大きいのも魅力だ。何回かその美人店員にドリップコーヒーを頼むと最近になって私の好みを覚えてくれた。
シニアを確実に喜ばせる方法がある。
若い女性・男性と会話ができる機会を作ってあげることだ。シニア男性たちの日常生活には、若い女性たちと一緒にワイワイがやがやする機会がない。いつも周りにいる人達は、同年代の老人たちだ。若い人たちとの接点が老いてくると次第に無くなってくる。
私は、横浜の街なかを歩いている若い女性たちを眺める事が多い。異性への興味は年令に関係なく老人にもある。同じようにシニア男性だけでなくシニア女性にも異性への興味はある。醜い老人よりも若々しい若者たちだ。若さ自体が魅力になっている。
世代間のつながりが現代は失われている。都会であればあるほど若者と老人とに接点が見つからない。これが若い女性となるとお金を払ってキャバクラに行くぐらいしか無い。
私を含めて60歳を過ぎると興奮することが少なくなる。面倒なことはやりたくなくなる。新しいトレンドや出来事にそれほど興味を示さなくなる。自分の世界で都合の良い生活をやり始める。
その上、体と精神が確実に衰えていっているのが分かる。心の中は、何か物足りなさを感じている。若い頃以上に感動する機会がない。何かに取り憑かれるような強い感情が起きてこない。人間は、新しいことを学ぶことを忘れると時代の流れに着いて行けなくなり、周りから置いてきぼりになる。それで社会から孤立し孤独を味わい始める。生きがいを感じられなくなると人生の終着駅が見えてくる。
好奇心があるシニアほど喜怒哀楽を味わっている。今年65歳になった私の妻は好奇心でいっぱいである。先日、こんなことを言っていた。従妹の女医さんがいつも旅行で宿泊するホテルがドーミーイン。このホテルは夜泣きそば、湯上りのアイスクリーム、乳酸菌ドリンクなどが無料サービスがあってコスパが良いと妻に話していた。妻はドーミーインの無料サービスに興味津々になった。
5月の連休後にドライブ旅行に行くのだが、泊まるホテルがドーミーイン泊まるホテルがドーミーインになった。