シニアの本音は社会から求められる自分の存在だ

年老いてくるとお金よりも社会での自分の存在に神経が行く。老いてくる自分の存在が現実の社会から薄くなって消えていく感じがするからだ。社会は自分を必要としていないと思い始める。この気持ちは、定年退職後に自分の行き場を失った元会社員の心理と同じだ。自分の居場所がない!

社会のお荷物になりたくない!そんな叫びがあなたに聞こえて来ないだろうか。

誰でも何か人のお役に立ちたいと心の底で思っているはずだ。その思いが行動に移せる人とそうでない人がいるだけだ。仕事を持って働いている人であれば、その仕事自体が自分の存在と結びついている。仕事を通じて社会に貢献していると感じられる。仕事から解放された老人たちを見て若い人たちは羨ましく思っている。老人たちは、心の中で虚しさを感じている。

働きたくても働けない。年齢だけで働く機会を奪ってしまう社会が憎いと思っているシニアが多い。働くという意味は、老人にとって自分の存在を証明する手段になる。元気なシニアは、社会で何かをして役に立ちたい思っている。その活動が生活費の足しになるならばそれが一番良い。 

老人たちにとって一番嫌なことは、老人を社会のお荷物と感じさせる言動だ。誰だって他人のお世話になりたくない。自分が出来る事は出来るだけ自分でやれるようにしたいと思っている。

体は老化する。ある時点でどうしても第三者の助けが必要になる。それまでは、社会のお荷物ではなくお荷物を担ぐ労働者として働きたい。シニアはそう思っている。自分が出来る範囲で得意とする分野で社会に貢献したいのだ。 

NPO団体に参加してその団体の中で活動しているシニアたちを観察すると一つのことが見えてくる。色々な案件が仕事としてNPO団体の中で降って来るのだが、会社組織のように上から押し付けられるような依頼であると誰もやらないというか、誰もやりたくない! 

シニアは自主的にやれる案件が降ってくると積極的に行動を起こす。この案件ならば、私の経験や知識が生かせると思ったら手を挙げるのだ。NPO団体はある種の組織だが会員の自主性で運営されている。当然、自主性だけに頼っているとNPO団体として機能しなくなるのが現実だが、その問題を解決できる組織でないとNPOは継続して活動できなくなる。 

上からの指示でやらされてきた組織での仕事をシニアは嫌う。もう、40年以上もそんな労働をしてきたからその束縛から逃れたいとシニアは感じている。それよりも自主的に仕事をしたいと思っている。悲しい事だが、会社組織でぶら下がった生活をしていると仕事を自分で見つけたり、作ったりすることが難しくなる。 

自分には社会で役に立つリソースを持っていると自負しているが、そのリソースを自分の力で仕事に結び付けられない。老人になると若い時と違って仕事が向こうからやってこない。むしろ、社会がやれる仕事を遠ざけてしまう。そう感じているシニアがきっと居るはずだ。 

失業している人たちは、働いて社会につながっていたいと思っている。シニアも社会貢献をして社会につながっていたいと願っている。年老いてしまった両親に認知症防止目的で家庭の中に仕事を作って老夫婦にやらせる。その逆をやって暇にさせると認知症になってしまう。 

何もかもお世話をする介護施設で生活し始めると元気な老人が認知症になってしまう。自主的に動けることがなくなると人間は、生きる上での喜びを失う。自主的に活動する機会がシニアを含め誰もを生き生きとさせる

老人は、過去の経験や知識からこれなら自分でも出来る、面白そうだからやってみたいと思うと自主的に動き出す。動き出すことで自分の存在価値を社会の中に見出すのだ。