老人が多い!ランチ時間帯の横浜駅地下街に溢れる元気な老人たちが目立つ

天気と気温が秋に成り、暑くもなく、寒くもないためか、老人たちが自宅を出て街に来ている。自宅に居るよりは、体を動かす意味と脳への刺激を与える意味で外出は健康に貢献する。65歳を過ぎれば、顔や体は老人の風貌を装う。若者たちから老人だと呼ばれても反論は出来ない。

筋トレで元気な老人が増えてくると今日、横浜の地下街で見た老人の数が2倍、3倍になる。想像しただけで異様な雰囲気だ。QBハウスの床屋は、朝から老人が並んでいた。老人の姿が目立つ。そういう私も老人のはしくれだ。自分はそう思っていないのだが、他人は私の事を老人と呼ぶ。

老人の社会がやって来ている。

老人が社会で目立つのは良い事か?

私が子供の頃は、老人は社会の隅に隠れて生活をしていたように感じた。田舎育ちの私は、畑で働いている老人の姿が記憶に残っている。都会と違って老人は、自宅か農地か畑のどこかで時間を過ごしていた。横浜は、電車で10分も離れると田舎になる。農地や畑が沢山ある場所に行ける。農業に従事している老人は、自分の時間を自然と一緒に過ごす。会社を引退した老人は、暇を見つけて街中に刺激を求めてやってくる。

平均寿命と健康寿命が著しく伸びている現代の日本社会は、元気な老人たちが目立つ。

社会につながり元気に働いている老人たちと仕事から完全に離れて隠居生活をしている老人たちがどんどん外に出て来ている。昔のように家で孫の世話や子守をする老人は少なくなった。核家族化で自宅で孫たちと一緒に生活をする機会が減った。隠居生活の元気な老人は、刺激を求めて変化がある街中に出てくる。

表の社会に自分で出て行ける老人たちだけに焦点を当てるならば、平和な生活が見える。表に出てこれない老人たちを考えると大きな問題を抱える。

表に出てこれない老人たちとは、

  • 足が不自由で自宅でしか生活が出来ない老人
  • 老人ホームで介護を必要としている老人
  • 外出を楽しむお金が無い貧困な老人

社会で目立たなくなった老人は、時間とともにこの世から消えて行く。著名人も有名な芸能人もメディアから離れるといつの間にか見えない存在に成り、消えて行く。ある日突然死亡記事が新聞やテレビで報道されてその事実を知る事になる。一般の老人は、誰も知らずに消えて行く。

横浜駅の地下街を歩き回っている老人たちは、そんな意味で幸せな人たちだ。多少、歩く事が不自由でも一人で動けるだけの脚力があれば、世の中の様子を自分で感じ取れる。一度、老人ホームに入ると一人で老人ホーム以外の場所に行くのが難しくなる。終の棲家だ。窓から見える世界だけが自分の世界だ。

私は、病院に入院したことが一度だけある。痔の手術で1週間ぐらい入院していた。外出が出来るようになったのは退院する2日前ぐらいだった。手術した傷が治るまでベッド生活の状態であった。漫画や小説を読むか、ラジオ番組を聞くぐらいしか時間を潰せなかった。実に退屈な生活を送った。

自分で自由に動く力を失った老人は、外部からの刺激が少なくなり何かに没頭する事もなくなる。徐々に認知症が忍び寄ってくる。老人の幸せは、自分で自分の自由を維持できるか、出来ないかが分岐点だ。

この記事「老人が多い!ランチ時間帯の横浜駅地下街に溢れる元気な老人たちが目立つ」のポイントは、

  • 街中で歩き回る老人の数が増えている。元気な老人たちが目立つ。夫婦で外出してきている。ランチをどこかのレストランで一緒に楽しむためかもしれない。
  • 社会につながるために働いている老人も多くなった。自宅に引っ込んでいる老人が外に出てきたのだ。寿命が延び、健康意識が強まっている証拠だろう。
  • 表で見える老人と見えない老人がいる。老化で足の自由を奪われた老人たちだ。自分の体を動かせなくなった老人は、時間とともにこの世界から消え失せて行く。