親孝行が出来るうちに時間とお金を使う意味

自分のためにお金を使う時と家族のために使う時に自分の価値観が見えてくる。若い時に使うお金と高齢者になった時に使うお金でも価値が違う。高齢者はお金を使える時間が若者と比較して短い。お金を使って満足を感じられる上限が年齢にある。普通の生活が出来ている高齢者ならば、お金は使っただけの対価が生まれる。

健康を害したら、満足が行くお金の使い方に制限が加わる。老化や病気はお金だけで治せない。お金を使って楽しめる体があるうちにお金を使う。そのタイミングを逃さないでお金を使うのが老後の生活で求められる。

kenko

老い先が短い家内の両親に時間とお金を使う

私は生い先が短い家内の両親にお金と時間を使っている。両親が喜ぶ旅行を企画してドライブ旅行をしている。足が不自由である老夫婦は自動車でないと行きたい場所に行けない場合が多い。自動車の窓から景色を眺めながら宿泊先のホテルまで行くその道のりが楽しいようだ。

老いた家内の両親が出来ないことをやってあげる

90歳と85歳の老夫婦は、もう、自分たちで電車やバスを使って日帰り旅行も出来なくなっている。自宅周辺を散歩するぐらいしかない。自宅だけでの生活は変化が少ない。時には非日常的な生活を味わいたいと思っているはずである。10年前には出来ていた旅行が出来なくなった今を悲しんでいると私は思っている。

私たち夫婦が出来る事は老夫婦の足になってあげる事。家族しかこのようなことは出来ない。最初は一泊二日の旅行を提案したが二泊三日でないと疲れるという要望があった。それからいつもドライブ旅行は二泊三日になった。海が好きな父親には千葉県や伊豆のリゾートホテルに連れて行って周辺をドライブしてあげている。 

観光スポットに立ち寄って歩き回る事があまりできないので自動車で観光のポイントポイントに立ち寄ってその場の景色を楽しんでもらっている。

生きている家内の両親の顔が喜ぶのを見るだけで安心と喜びを感じる。他界したらもう顔を見れなくなるからだ。会話もできなくなる。一緒にいるという雰囲気を感じられなくなる。生と死の世界には越えられない壁がある。 

私の両親には親孝行が出来なかった

両親が生きているうちに、まだ、動けるうちに時間とお金を使ってこの世界の楽しさを味わい続けてもらいたいと思っている。私の両親はすでに他界している。親孝行も出来たとは思えない。母親は私が米国の大学に留学中に他界。父親は米国に駐在中に他界。死に際を見る事が出来なかったし、生きているうちに両親に特別な親孝行をする事もできなかった。それだけを悔やんでいる。

そのため、まだ生きている家内の両親に私の両親に出来なかった親孝行を出来る限りしている。時間は有限である。タイミングを失うと出来た事も出来なくなってしまう。潤沢なお金がなくても自分が持っている時間と少しのお金でやれることをやってあげる。

生きているから出来る事。死んでしまったら、どんなに大金が手元にあっても使えない。お金と時間は使うタイミングが重要である。同じ事が私達の老後の生活にも言える。お金を節約して貯めるがそのお金を使って対価を得ることをしているのだろうか。還暦を過ぎれば他界するリスクが自然と高まる。老いれば老いるほど死が近づいて来る。お金と時間は何に使うかで価値と意味が変わる。その事を私の両親が生きているうちに気が付くべきであった。

2023年の夏

家内の両親は父親97歳、母親92歳になった。老人ホームに二人共入居して生活を送っている。父親は完全に歩くことができなくなり、車椅子生活である。母親は歩行車があれば自由に歩き回れる状態にある。老人ホームから自動車で何処かに連れ出そうと父親に提案するのだが、もう外出するだけの体力と気力がないと言って断ってくる。母親は自動車での外出に乗り気でいる。

季節が外出に適した時期になったら母親だけを連れて数時間のドライブに連れて行こうと計画している。母親は少し認知症になっているが、まだ、まともな会話ができる。お互いのコミュニケーションが出来るうちに私の時間とお金を使って出来ることをしてあげたい。

猛暑の夏を老人ホームで過ごせることは幸運である。体力が落ちた老人が生活できる快適な環境が提供されている。両親が住む世界は老人ホームが作り出す世界だけになる。自分で外出できる体力と健康があれば、もっと老人ホームの生活を楽しめるのだが、その機会を失って入居したからそれが出来ない。

人生という時間はお金で買えない

家内の父親が元気で普通の生活が出来る健康と体力がある時、自分たちの子供家族全員と2泊3日の旅行に行っていた。旅費の半分は彼が支払っていた。全員で10人になる。昼と夜の食費も彼がすべて支払った。彼にとって家族と一緒に過ごす時間が一番貴重であったと思っている。そのためのコストが高くてもお金が有意義に使われたと考えていた。

彼は自分の時間とお金を有意義な時間を過ごすために使った。今しかそれが出来ないと悟っていたのだろう。68歳になる私も当たり前のように普通の生活をしているが、年齢が80歳を過ぎれば体が壊れて普通の生活が難しくなるかもしれない。気楽に旅行でも行こうか!なんて言えないかもしれない。

老人ホームでお世話になるための準備金は必要であるが、健康寿命を出来るだけ長く保てば老人ホームに入居している期間が短くなり、それにかかる費用も少なくなる。老人ホームでの生活期間が1年ぐらいで終わるならば、2年間ぐらいの資金を貯めて置けば良い事になる。

それを考えるとお金よりも自分の時間の方が重要である。残された時間をお金を使って有益に使う。それが老後の生活を意味あるものにするのではないか。

結論

両親がまだ健在ならば、今のうちに親孝行をすべきである。自分の時間は親の時間よりも長い。自分の時間と少しばかりのお金を使って両親が喜ぶことをしてあげる。足が不自由でちょっとした旅行も出来なくなっていれば2泊3日ぐらいの小旅行に連れ出す。体が不自由になった両親であれば、外出を手伝ってあげるだけで喜ぶ。

自分の時間とお金は自分のために使いたいが、喜びを得るために親孝行に使うのも良い。親は自分よりも先に他界する。生きている間に出来ることを両親にしてあげる。それから来る喜びは自分の時間とお金以上の価値を持つ。