お金を稼ぐ必要がなくなったら、幸せか?

老後に必要なお金が手に入ったら、お金で悩む日々は無くなる。面白いことに他人から見て十分過ぎる金融資産があるにもかかわらず本人はお金が足りないと思っている。そんな実例を私は見ている。私自身、老後に必要なお金は手元にない。今、作っている最中だ!

お金を必要な時に作れるスキルを私は追い求めている。沢山のお金を持っていても盗難にあったり、詐欺にあったりして無くなったら、意味がない。沢山のお金を持つよりも必要な時に必要なだけのお金を作れるスキルが重要だ!

仮に必要以上のお金が手元に入ってきたら、どうしようか。多分、一生懸命仕事をしている意味を失うだろう。仕事をしてお金を稼ぐ必要がなくなったら、仕事をする必要もない。仕事を生きがいにしていたシニアは、その時点で人生の楽しみ方を失う。

Money is NOT everything!

お金を稼ぐ生活に意味があるのではないか?

お金で満たされた生活は人生を堕落させる。お金で困らない人は、お金の価値を一般大衆の視点で見れなくなる。どんなに高価の物でも直ぐに買えてしまう。一人で住むには広すぎる家に住み、生活で必要がない物で溢れている。

一般大衆は、お金で満たされた生活を一度は味わってみたいと言う。年収1億2000万円と12億2000万円で何が違うのだろうか。一人の人間が、月に1000万円もお金を使うことがあるだろうか。それが、1億円になっても状況は変わらない。

お金は、ある上限を越えると普通の人の価値観を越えてしまう。

アルバイトをして貯めたお金で長年買いたいと思っていた一眼レフのカメラを買う時の喜びと財布から札束を出してすぐに買う喜びでは相当の違いがある。お金を使う裏側に人それぞれのストーリーがある。

今、私はある売上目標に向けて頑張っている。頑張っている理由は、549ドルのサムソン製Chromebook ProというChrome OSのパソコンを米国のアマゾンから購入しようとしている。金額的には払えない額ではないが、目標を達成しなければ買わないと決めている。

苦労して、我慢して、稼いだお金で買う喜びと何時でも直ぐに買えるお金で買う喜びでは何かが違う。使うお金には、そのお金が自分の懐に入って来るまでのストーリーがある。

生活に不自由しないお金が手に入るとお金を使う喜びを失う。買いたい物が直ぐに買える。そんな生活はつまらないと私は思う。貧乏人は、贅沢な悩みだと言葉を吐く。中国人の爆買いは、使うお金の価値を知らないでお金を使っている。

お金が必要な人はお金の価値を肌で感じている。お金で満たされている人は、お金の価値を見失う。どちらが幸せなんだろうか。老後の生活のために1億円を貯めたとする。普通の老人は、その1億円を使い切ること無くこの世を去る可能性が高い。残ったお金は、家族の手に渡り消えて行く。

老後の安心を貯蓄で買う。現実は、貯蓄で安心を買えたのだろうか。疑問である。裕福な高齢者に聞きたい。あまり余るお金で老後の安心を買えましたかと。安心と幸せは別だ。安心を買えても幸せは買えない。

私の家の近くに高級有料老人ホームのマンションがある。裕福な高齢者専用の老人ホームだ。子どもたち家族と一緒に生活をしないで自分一人で生活をする決断をした裕福な高齢者たちが住んでいる。彼らは本当に幸せなのだろうか。

必死になってお金の工面をしながら生きていこうとする高齢者と何もしないでも生きていける裕福な高齢者とでは、生きるという意味での質が違うのではないか。