シニアに感動が起きない?

感受性が豊かでない私である。好奇心も若い頃と比べると相当少なくなった感じがする。64歳のシニア男性であるが、目を見張るような感動を味わったことがない。一方でテレビを見て涙が出やすくなった。感動して涙が出たと言うべきなのだろうか。それを感動と言って良いのか分からない。

今日も喜ぶべき出来事があったが、心が踊っていない。20歳代の私ならば、きっと声を出して「すげ~!こんなこと初めてだ!」と叫んでいたと思う。64歳の私では、そんな感動が湧いてこない。何故、そんな喜ぶべき出来事が発生したのか?その原因が分かっているからだ。

シニアの感動はどのようにして作るのか?

ちょっとした事で感動する人がいる。そんな人見ると本当に羨ましい。いつも、子供のような感受性を持っている。私の感受性はどこに行ったのだろうか。還暦を過ぎると感受性の機能が衰えるのだろうか。

ブログサイトでGoogle アドセンス広告ビジネスをやっている。今日の出来事は、突発的な原因で1日のクリック収益が9000円を超えてしまったのだ。こんなこと初めてだ。普通は有り得ない現象である。

こんな嬉しい出来事が起きても心が踊らなかった。子供の感受性ならば、叫び声を上げて踊り回っているかもしれない。なぜ、64歳の私は素直に初めての喜ぶべき出来事で心が踊らなかったのだろうか。

一体、どんな出来事が私に起これば心が踊るのだろうか?

昔から自分の感情を抑える生活をしてきた。感情表現が下手な私であることは自覚している。それが起因しているのだろうか。

この歳になって花壇に咲いた花を見てジワリジワリとその美しさを感じられるようになってきた。今までは、花が咲いているで終わっていた。年老いて失われる感受性があると同時に新しく目覚める感受性もあるのだなと思っている。

今までに味わった事が無い体験をすると感動という感情が生まれるのだろうか。昨年、一度だけ驚きの感動をした。大規模集合住宅の自宅ベランダにヤモリが日向ぼっこをしていた。その姿を家内が写真に写してLINEで送ってくれたのだ。最初は、ヤモリのおもちゃをベランダの花壇に置いて私をビックリさせようとしていたと思っていた。

自宅に帰って家内に確認したら、本物のヤモリであったということが分かり、驚きと感動を覚えたのだ。まさか、自宅マンションのベランダにヤモリが住んでいるとは!

2017年になって4ヶ月が過ぎようとしているが、驚きと感動で心が踊るようなことに直面していない。意外性がある出来事が生まれると驚きと感動が生まれるのではと感じている。

子供は、見るもの触るもの新しいものに驚きと感動が伴う。大人は、既に経験済みなことが多いので子供ほど驚きと感動が湧いてこない。人生60年を過ぎれば、多くの経験をしてきているのでちょっとの事で驚きや感動が生まれてこない。

言葉で驚きと感動は自分で作るものと簡単に書けるが、現実は簡單ではない。未経験な事を意識して挑戦しないとそんな出会に遭遇しないのかもしれない。未経験の事を敢えてやろうとする気力が自分にあるかどうかだ。

1ヶ月に1回は、驚きと感動で自分の心を踊らせたい!