街の個人喫茶店に集まる高齢者たち

私は仕事でスタバを使う。禁煙でWi-Fiと電源が取れるだけでなく長居が可能だからだ。客層も若い。雰囲気も私好みでもある。仕事以外でカフェに入る時は、スタバに行かない。スタバのコーヒーに飽きている。最近はスタバのコーヒーが美味しいとは到底思えなくなっている。毎日飲んでいるとスタバのコーヒーがまずくなるのだろうか。

時々、街の個人喫茶店に顔を出す。ドリップコーヒーを店主が時間をかけて出してくれる。スタバのコーヒーと違って味がある。客はあまりいないので静かである。Wi-Fiも電源もない。昔ながらの喫茶店である。そこに集まるのは、団塊世代の老人たちだ。

自分の世界を楽しもうと集まってくる老人が好む個人喫茶店

スタバは最近若い母親と幼児をもっとお客として集める店構えにしているように感じる。Cafeで仕事をしているとある程度の静けさが必要だ。その静けさが以前はあったのだが、今は泣き叫ぶ赤ん坊と幼児によって邪魔されてしまう。赤ん坊と幼児の仕事は、泣き叫ぶことだから何も文句を言えない!

静けさを求めて集中して仕事をする時は、街の個人喫茶店に足を運ぶ。午後の3時から6時頃は、私のように何かに集中して物事にふける老人が多い。新聞や本を読む人も多い。共通することは、自分の世界を持てる静けさだ。 

若い母親と赤ん坊や幼児は、個人喫茶店などには足を運ばない。大きな乳母車(ベビーカー)を店内に入れられないからだ。スタバに堂々と大きなべギーカーを入れて一服する若い母親が大勢いる。他の客にとっては、ベビーカーが邪魔に見えるのだが。十分なスペースが有るスタバの店舗ならば良いのだが、お店側もベビーカーを何台も連れ込む若い母親たちを想定していなかったようだ。 

そのためか、最近のスタバは赤ん坊と幼児のお世話に疲れた若い母親が一服できるスペースを店内に作っている。ベビーカーも席の近くにおけるスペースと椅子だ。

もう、こうなるとスタバでじっくりと自分の世界に浸ることが出来なくなる。ゆっくりと時間が流れていくような場所を求め始める。街の個人喫茶店がそのニーズを満たしてくれる。おじいさん、おばあさん、団塊世代の老人たちが自分の世界でゆっくりとしたい時にやって来る。

私が利用する個人喫茶店のお客は、地元住民が多い。若い人は余り利用しない。雰囲気がメトロだからだ。ファッション性や近代的な雰囲気を求める若者たちは、都会にあるカフェを利用する。スタバなどは、中学生から大学生までの学生が多いが、個人喫茶店にはお客としての学生がいない。 

個人喫茶店のマスターも高齢者だ。自分のペースで喫茶店を経営している。顔を見ているだけで落ち着く。コーヒーも心がこもっている。おしぼりもお水も出してくれる。スタバにはないサービスだ。 

60歳を過ぎると古き良き日本の文化に目が行くようになる。個人喫茶店もその一つだ。高度成長期に個人喫茶店が広まった。昔ながらのカレーライスやナポリタンなんかも食べられるスタバにないメニューだ

スタバを利用して6年ぐらい仕事をしてきたが、仕事をする場所を変える時期なのかもしれない。静けさとメトロの雰囲気を味わえる個人喫茶店でインターネットの仕事をしても良いかもしれない。スタバはもう沢山だ。本当に美味しいコーヒーが飲める個人喫茶店に目を向けたい。