人と話すことが無くなる高齢者たちの気持ち

時々、電車の中や駅のプラットホームで老女が一人で会話をしているのを見かける。あたかも目に見えない人と話をしているかのような話し方だ。一瞬、Bluetoothイアホンを使ってスマホ経由の電話をしているのかなと思ったがとてもスマホを使う年齢の老人ではない。

一人会話をして歩いている老人は、孤独を通り過ぎた世界に住んでいる。

1日中誰とも話をしない生活をしている老人が多い

なぜ、一人住まいの老人たちは、ペットを飼うのか。

老人は、人間との交流し会話を楽しみたいと思っている。この欲求は、シニア男性よりも女性の方がすごく強い。長生きをするのが女性だからだ。長生きをすると一人住まいになる。子どもたち家族と一緒に生活が出来れば幸せだが、老後になって突然子供の家族の一員になるのは大変だ。嫁姑の関係、生活環境、自分は何をするの?ライフで精神的に悩む。それが分かっている老人が多い。

ペットを飼うのは、話し相手を求めているからだ。犬にしても猫にしても話しかければ何らかの反応がある。家の中に何か生命を感じ取れる。高齢化社会はペット社会になろうとしている。ペットのための病院、ペットのための美容院、ペットのための運動場、ペットのためのホテル、ペットのためのファッション、などなど。ペットが人間と同等になり始めている。

一人孤独な生活を送っている長生きの老人たちは、もっと身近に話や交流ができる人間を求めている。求めればグループホームや有料老人ホーム、そして、シェアホームなどで孤独を紛らわせられる。それが出来る老人は、一人で生活が難しくなった人達が多い。

自分一人で生活が成り立っている老人たちは、話ができない世界で過ごしている。その心理状態は、私も共感できる。

私も1日中一言も話をすることがない時がある。パソコンの先にあるインターネットの世界で仕事をしていると人間に直接接触できない。メールやチャットなどを経由してネットな中の人間と触れるだけだ。音声ではなくテキストである。

今日、誰と話をしただろうか?

自宅を出る時に家内と話をした。ほんの一言二言だ。スターバックスのカフェでドリップコーヒーを注文した時に店員と世間話をしたぐらいだ。それ以外に会話らし会話を他の人達としていない。仕事に没頭していると会話が無くなる。仕事がネットで完了するならば、尚更他の人達と接して話をすることがない。

唯でさえ、友人がいない私だ。知人はいてもいつも生活を共にしていないし、顔を合わすこともない。会社員の人は、仕事で同僚と話をする。話をしないで会社の1日が終わるのは少ないはずだ。

私には、仕事がある。仕事で外出し、カフェを仕事場にしている。カフェの店員とは必ず言葉をかわす。仕事がない暇な老人たちは、毎日、一人で居ることになる。会話をするには、誰かに電話して遊びに行こうと誘うしか無い。その誰かがいなければ、お手上げだ。

足の筋力が衰えて外出が難しくなった老人は、自宅で隠るしか無い。増々、話をする機会が無くなる。あるのは、ペットだけだ。ペットは人間ではない。話しかけても日本語で返答してくれない。

電車の中で一人会話をしている老人は、孤独の世界を精神的に飛び越えて自分だけがいる世界に入ってしまった老人たちだ。周りの人たちは、奇異に思いその老人から遠ざかる。増々、人間から遠ざかる事になる。

私が危惧しているのは、体は元気で身動きで不自由しない老人たちが孤独に耐えきれず奇妙な行動をし始めることだ。老人にとっても若者にとっても孤独は精神状態を狂わせる。何もやることがない人が孤独の世界に入り込んでしまうと一人会話を始めてしまう。

夫婦なのだが、一言も会話がない夫婦は孤独だ。とても幸せな夫婦とはいえない。私から仕事を奪ったら、私も孤独の世界に入ってしまうのだろうか。