孤独な老人は生きる上で何を求めているのか?

私が出勤時に使う相鉄線の駅前にローゼンというスーパーマーケットがある。その横には、駐車場への入口がある。毎朝、交通整理の警備員が1名から2名でその入口で交通整理をしている。入り口が駅へ行くための歩道に面しているため私のような通勤者が多く通るからだ。今日、珍しく警備員が80歳過ぎの老人と会話をしていた。話をしている内容は分からないが、老人は話をしたくてしょうがない様子であった。

警備員は、交通整理の仕事をしながら老人の会話相手をしているのだが仕事に集中できない素振りだ。老人は、警備員の状況を考慮せずに一方的に話し続けていた。警備員は、丁寧に老人のお相手をしている。言葉遣いも丁寧で失礼が無いような返答をしていた。警備員にとっては、話しかけてくれる人もお客様の一人であるという感じなのだろう。

80歳過ぎの老人は何故に警備員に話しかけていたのだろうか?

毎日誰も話をする人が居ない老人たち

普通の家庭生活をしている私達にとって会話をする相手(話し相手)を探すという行為は意識することがない。意識しなくても1日の中で誰かと会話しているからだ。会社員ならば、同僚や上司。学生ならば同級生。主婦ならば、ママ友達だ。いつも、会話をする相手を探すこと無くお喋りが出来ている。それが当たり前である。

80歳過ぎの老人にとっては、当たり前の事が当たり前でなくなる現実(話し相手が見つからないという現実)がある!

今日見かけた80歳過ぎの男性は、毎朝、ローゼンで食材を買って自宅に帰る生活をしている。足を鍛えるために毎朝ローゼンのスーパーまで買い出しに来ている。奥さんは他界したのだろう。いつも、一人で買い出しだ。人恋しさで毎朝スーパーにやってくるのかもしれない。警備員に話しかけていたのも誰かと会話をしたいという欲求がそうさせたのかもしれない。孤独な老人なのだろう。

80歳過ぎの老人が一人で生活をしているとしたならば、社会から隔離されたような生活かもしれない。自分で仲間を求めて何らかの活動をしていないと一人ぼっちの生活になる。まさに、孤独の老人である。

80歳を過ぎて新しい友達を作るのは簡單なのだろうか。女性と男性では、友達作りの面で相当の違いがあると私は思っている。

女性はお喋りをしないと生きていけないという本能があるためか、直ぐに隣りにいる老人と話が始まる。男性は、なかなか最初の言葉が切り出せないで黙っている場合が多い。隣の相手が何か話しかけてくれるのを待っている。そんな場面が、老人ホームでよく見かける。

この老人男性は、いつも見かける警備員に親しみを持っていたのかもしれない。警備員もいつも見かける老人である事に気が付いていたのかもしれない。そのため、話しかけを快く受けていたのだろう。ちょっとした朝の風景だが、自分が年寄りになるに連れて老人の心理を想像できるようになってくる

今思うのだが、定年退職後に老後の遊び仲間をできるだけ多く作っておくことだろう。それも近所に遊び仲間を作ることだ。私が住む大規模集合住宅では、シニアの人たちが中心になって「シニア会」なるものを作り定期的に活動をしている。マイクロバスをチャーターして日帰りの旅行を計画したり、ビール工場に見学に行ったり、近くの公園で桜の花見会を開いたりしている。

私も65歳を過ぎたら、「シニア会」に参加しようと考えている。今は、仕事があるので仕事で老後の生計を立てる必要がある。毎日、暇にしていられない。

でも、

遊び仲間が80歳になっても近くにいる、いないだけでも老後の生活に相当の違いがある。遊び仲間は、自分を孤独と孤立から守ってくれるからだ。老人の恐怖は、自分の存在が社会から忘れ去られることではないか。まだ、生きているのに誰もその存在を認めてくれない。そんな印象を老人に植え付ける。孤独な老人は話し相手を求めている。