デパートのトイレ近くにある休憩用の椅子に座っている老人たち

多くのデパートには、トイレ近くにお客様用の休憩椅子が用意されている。私もトイレの後にスマホでメールを見るために利用している。何回か利用していくうちに見慣れた老人たちが大勢座っているのに気が付いた。この老人たちは男性が多い。女性はトイレに行ってすぐにその場を離れる。なぜか、シニアの男性が長く座っている。

その姿は、何かぼーっと見つめているような虚無の世界にいるような印象だ。

何もしないで休憩用の椅子に座って時間をつぶしている?

トイレに行っている妻を待つために椅子に座っている老人たちではない。外に出て適当な居場所がデパートのトイレにある休憩用の椅子であったためではないか。私はそう感じる。私の想像では、孤独な老人たちではないだろうか。自宅にいても一人だから外に出る。外に出ても目的がないので何処かにたむろする場所を探す。

お金がかからずゆっくり座れる場所がデパートのトイレ近くに設置された休憩用の椅子であったという事ではないか。元気な老人が増えているが、時間をもてあそんでいるシニアが目立つ。数人そんな老人が椅子に陣取っているのだが、お互いに会話を交わしていない。

彼らの目はなぜかうつろに前をじっと見つめているだけだ。

私には彼らの心理状態を想像するしかないのだが、元気で長生きをしても情熱をもって生き生きと生きる生活が出来ていない老人が多いのではないか。生活できていても自主的にやる事が無い。・・・というよりも自主的に何かやろうとしない。 

他人の人生だ。余計なおせっかいをするな!と怒られてしまいそうだが。その人の人生という時間がもったいないといつも思っている。

今、50歳代、60歳代、70歳代の中高年やシニアは、こんな現実を知る必要がある。生きていても生きていない生活を送る老人たち。自分がやりたいことを今から見つける事だ。

長生きをすればするほど自分で出来る事が少なくなる。自分で生活が出来る体力と健康があるうちにやりたい事を実現することに持ち時間を費やすべきではないか。子供の頃に思い描いた夢があると思う。その夢を実現させるにはどうしたら良いかを考えれば、自然と自分の時間が有効に使われて行く。

毎朝自分の居場所を探しに外出するのも疲れるだろう。ちゃんとした目的がある外出に意味がある。トイレの休憩用椅子で暇を潰すのは誰が見てももったいない。今度、デパートのトイレに行ったときに暇そうにして椅子で休んでいる老人に話しかけてみようと思う。

ここで書いたような推測通りであったかどうか、関心がある。