スターバックスのカフェで仕事をしている64歳のシニア。パソコンを目の前にしてインターネットの仕事をしているのだが、時々、中年から熟年の奥さん方が4,5人でやってきて大声でおしゃべりを始める。これが我慢できない。インターネットで何かの記事を書いている時や考え事をしている時におしゃべりの声が集中力を妨げる。
自分の感じ方を第三者の視点で分析して見ると、自己中心的な考え方をしているのが分かる。
何かに集中したければ、カフェで仕事をしない事だ。カフェではおしゃべりが当たり前だからそんな感じ方はおかしいとなる。
老人が切れる、気が短いと言われる理由
子供と同じで老人は、自己中心的な考え方になりやすい。我儘な老人に知らないうちになっているのだ。自分が置かれている立場や環境を考慮すれば、自分の考え方が自己中心的であることに気が付くはずだ。
自分にとって都合が悪い、自分の価値観と合わない、常識がないという感じ方は、冷静に自分を見つめると正当性を見出せない。自分の常識は他人の非常識に映る場合がある。
気が短くなっていると感じる
気が短くなってきていると感じる今日この頃。なぜ何だろうかといつも悩んでいる。一人で仕事をしている時間が多いからかもしれない。その場所がカフェであるため色々な雑音が発生して集中したい時に集中できない環境に自分の身を置くのが悪いのかもしれない。ここで自己中心的な考えが生まれてくる。
なぜ、カフェで仕事をするのか。こう知人に質問されるとこう答える場合が多い。
「雰囲気が良いし、スタバは禁煙で長居をしても追い出されない。その上、Wi-Fi環境と電源供給が整っている。」
詰まる処、自己中心的な感じ方で気を短くさせているのではないか。老人は、社会から離れて孤立する。孤立すると自己中心的な考え方になりやすい。人との触れ合いが減少すると他人を考慮する考え方が消えて行く。
子供は自分のコントロールできないために我儘になる。老人も同様ではないか。自分で自分を制御できなくなることで周りが驚く。自分を第三者の目で見る習慣が老人に求められる。自分の感じ方は、他人が見て共感を得る感じ方なのかどうか。
おしゃべりグループの熟年女性が我慢できない私の反応は、他人からこう言われるかもしれない。おしゃべりがやかましいならば、別のカフェに移ったら。それで終わってしまう。知らないうちに自分の精神状態が自己中心的になっていたのだ。
仕事をするならば、もっと最適な場所でしなさいと諭されるだろう。
カフェで仕事をするシニアはノイズキャンセリングイヤホンを利用すべき
私はカフェで仕事をするときはPixel Buds Proのノイズキャンセリングイヤホンを使って周りの雑音やお喋りを音楽で遮断している。別にカフェだけでなく、どこに居ても周りの音で気分を害する時は自分の好きな音楽をノイズキャンセリングイヤホンを使って楽しめば気分を害さないシニアになる。
自分の常識は非常識になるということを自覚する
電車の中でシニア男性と若い青年が言い争いをしている。青年の座り方が悪いから注意したようだ。青年が素直ならば事は大きくならなかったが、そうはならなかった。常識あるシニア男性はその常識が誰にでも通じると思い込んでいた。誰もが同じ価値観で生きて居ないことを身近に感じていなかった。
切れるシニアは自分の常識が当たり前であると思っている。世代が変わるとその常識が非常識になることもある。それが特に感じるのは海外旅行に行ったときである。日本人の常識が海外では通じない。
余計なお節介をしたがるシニアが多い。駅のエスカレーターを駆け足で降りていく若者を見て注意するシニア男性がいる。エスカレーターを駆け下りないという新しいルールやマナーを若者に教えているのだが、言い方が気が切れた言い方になったために口喧嘩が始まる。
良いと思って言ったことが災いをもたらす。私もそんな事を心の中で思っても口には出さないでいる。エスカレーターを駆け下りて怪我をするリスクは本人持ち。リスクを取って駆け下りているはずだから、他人事として見ている。他人に対する迷惑行為でなければ、シニアは他人事として自分の思いを心にしまって置いたほうが良いかもしれない。
結論
老人が切れる理由の多くは、自己中心的なものの考え方や感じ方から起きているのではないか。私の感じ方や考え方を見て、そう思う。自分の常識が他人にとって非常識に映る場合もある。自分の価値観を他人に押し付けるのは災いをもたらす。