シニアは人生で迷った時、誰に相談をするのか?

まだ現役社会で仕事をしている人にとって「人生って一体何なんだろうか?」と思うときが間々ある。そんなときに人生の先輩であるシニアに相談をしたくなる人がいるはずだ。

若者たちの相談に乗るシニアも自分の人生相談をしたくなる。年金を受給し始めて一生懸命に働く動機付けが薄れたときがそうだ。働かなくても最低限の生活が出来るとわかったときに残りの人生をどうすれば良いか悩む。

シニアの人生相談は、若者ほど気楽に相談できる人がいない。相談する時は、祖先の墓石を前にして独り言を語るしかない。そして、一人で悟るしかない。

シニアには人生相談をする人がいないのでは?

長生きをすればするほど自分一人になる。人生相談をする先人はいなくなる。神様に人生相談をするしかない。神様は何というのだろうか。

シニアの人生相談は自問自答

「戸惑うな!命の時間を好きなように使いなさい。」と言うのではないか。なるようになるしかない、ケセラセラだ。

結局、シニアの人生相談は自問自答で終わるのではと思っている。私は、時々、ベッドの中で亡き両親に話しかける。自分の人生相談である。今やっていることは本当に良かったのだろうかと。先は見えていないが、やれることをやるしかないと自分を納得させている。

占い師に自分の人生相談をするのは、おかしい。占いは占いである。当たるも八卦、当たらぬも八卦だ。そんな占いは人生相談にならない。自分の人生で戸惑ったら、生まれ持った直感力に頼るのが一番良いと思っている。

私達人間には理解することが難しい「不思議な力」が宿っている。それに気がついている人といない人がいるだけだ。65年間の自分の人生を振り返って見ると、「不思議な力」を体験していることに気がつく。

自分の直感力に頼って今はビジネスの転換を図っている。こんな方向に進むなんて考えてもいなかった。どうしようかと悩んでいるうちにアクションが取られていた。知らないうちに。無意識のうちにこれがこれからの人生で自分の夢を達成させると。

自分の心奥底にいる直感に聞くこと 

ペットを愛している人は、ペットに自分の人生相談をする。ペットは何も答えないが、相談しているシニアは何かを感じるかもしれない。相談した言葉がエコーになって心奥底にいる直感に伝わる。自分の人生は、他人の人生と同じではない。

これからの人生は、誰かに相談して解決できるものではないので自分が培ってきた直感に頼るしかない。人生は分からないことだらけ。誰も死を経験して語ってくれない。この世とあの世の世界はシェアできない。生きている運命を悟って他界していく人は幸せかもしれない。私はまだ自分の運命がどうなるか分かっていないが、こうなってほしいというイメージが有る。

結論

長生きをすると人生を相談する人がいなくなる。逆に年下のシニアから人生相談を受ける立場になる。この世の世界には不思議なことがたくさん起きる。人間にはまだ自覚していない直感という能力がある。自分の人生で迷ったときは、他人に相談するよりも自分の心の奥底にある直感と相談すべきだ。