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シニアの生き方:NHKスペシャル「人生の終い方」を見て

「人生の最期に残したい事」をテーマにしたNHKスペシャル「人生の終い方」を見た人は、自分の人生の終い方をきっと考えたことだろう。人生の最期に何をするか? 誰に何を遺すか? つまり人生の“終い方”をどうするか。

60歳代、70歳代、80歳代、90歳代と年齢の段階がある。平均寿命は82歳。80歳まで生きられるとしたら、何をしたいかだ。何を残すと言っても残したものが残った伴侶や家族に喜ばれるものであるかどうか疑問が残る。

家内の父親は96歳になろうとしている。あと4年で100歳になれる。既に老人ホームに入居して終の棲家での生活を送っている。彼からは特別に何かを私達に残したいという話はない。あとの処理はよろしくということだけである。

誰にでもやって来る人生の終わり 

シニアのことは、シニアになって見ないと分からない。身近に感じることが少ないシニアの生活と人生観。60歳代、70歳代、80歳代以上で生活スタイルが違う。シニアは皆同じような生活をしていると若い人たちは思いがちだが、現実は、違う。自分が60歳代になってそれが段々と体で感じ始めている。 

いつまでも今の状態が続くと思いがちだが、確実に時間は過ぎていき、体も老化していく。或る年齢になってそれに気が付くのだ。当然、個人差はある。社会からの見られ方、体の変化、定年退職、年金、雇用環境など時間とともに変わっていく。人生は有限であることが頭で分かっていてもその時になるまで本気にしていない。私を含めて誰もがそうだと思う。

自分の人生の終え方

NHKスペシャル「人生の終い方」を見て、自分の番が必ずやって来る事を改めて認識した。自分の最終駅が何時やって来るかは分からない。分からないが、今からその時に何をすべきかを準備しても良い。考えることは誰にでもできる。誰にでも必ずやって来る事だから、そして、終わり方が人ぞれぞれ違う。 生まれ方と育てられ方も違うように人生の終い方も違う。

いつ、自分の人生が終わるのかが分からないのでどのタイミングで何をすれば良いか考えつかないのが心情である。ただ、一つだけ成し遂げたい目標が私にはある。つまらない目標で他人からは取るに足らないことに見えることである。80歳になったらベンチプレスで80キロのバーベルを挙げられるだけの筋力と体力を身に付けたい。この目標を達成してからこの世を去りたい。

ひょうっとしたら、筋トレをしている最中にこの世を去る事故に合うかもしれない。気持ち的には病院のベットの上で死ぬよりもやりたいことをしている時に他界するほうが気持ちが良い。結局、死ぬ時に自分の人生をどう思ったかである。後悔のない人生であったと思えればそれが最高の終え方ではないか。

誰に何を遺すか? 

終活で求められることは、誰に何を残すか?に集中する。財産が有ればあるほどこの問題が浮上する。世俗的な内容の終活は行政のような手続きにしか見えない。お金や物は残しやすい。分配さえしっかりと遺言状で明記すれば問題ない。

出来るならば、私の生き方や考え方、信条などが子供たちに伝わって残っていればそれで十分な感じがする。小土間は親をお手本にして自分の人生に応用する。私自身、両親について良く分からないが私の将来を心配して見えない所で見守りながら支援してくれたと感じている。

子供が親を理解するのはどれほど会話をして一緒にいる時間が多かったかで決まるのではないかと思う。私の場合は中学を卒業したあとから実家を離れて寮生活をし、大学は米国留学で日本を離れた。中学までの親との接点でしか両親を理解できない。

ただ、いつも不安になったり、病気になりそうになったりした時に心のなかで亡き両親に助けを求める。そうすると不安は消えてなくなり、病気も回復していく。いつも、別世界にいる両親が私の行末を見守ってくれている感じがある。私が子供たちに残せるならば、同じような精神的な存在だろう。

人生の最期に何をするか?

いつ、人生の最後がやってくるのかが問題。60歳代で体に支障がないときにやりたいと思ったこと、食べたいと思ったもの、頭の中で想像していたこと、ほしいと思ったものなどを実現してみたい。お金がかかるものから実行すれば良いだけのことなど色々ある。

心配なのは右目の緑内障が悪化してきている。既に右目の視野半分が見えなくなっている。駅の階段を上がったり降りたりする時に気を使う。70歳を過ぎた頃には自動車免許証を返納しなければならないほど悪くなっているかもしれない。80歳まで生きれるならば、右目の視野は3分の1ぐらいなるのではと思っている。

視力があるうちに、健康でいるうちに楽しみたいと思っていることを実現したい。

結論

この世の中は本当に不思議な事が多い。 

人智を超えることが日常茶飯時に起きている。信じることで救われるという言葉があるが、まんざら嘘ではない。信じて救われた人たちが大勢いるという現実があるからだ。当然、救われない人達もいるが。

私はこんなことを思っている。

自分の人生は、我が子たちのためのステッピングストーン(飛び石)で良いと。生まれた時からこんな人生を送りたいという願望はなかったので生きながら自分の夢を一つづつ叶えて行った。私の人生は、夢を見て夢を実現したいという人生のような感じがする。

I am after the rainbow's end. (夢追い人)

 

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