子供っぽさがある女性は何歳になっても魅力的だ

女性の魅力は年齢に関係なく有る。私が35歳頃、電車の中にいた親子ずれ(母親と娘)が私の前に立っていた。母親は50歳代、娘は20歳代。私は、なぜか、母親の魅力に惹かれてしまった。本来ならば、若い娘に目が行くのだが。娘も綺麗なのだが、女の魅力というか、母親の大人の魅力というか、理解できない本能で母親に目が行ってしまったのだ。

子供っぽさがある女性は年老いても若く感じる

子供もっぱさと言う感覚は説明しにくいが、大人の女性なのだが子供のように純粋な感情表現をしたり、子供のような反応をしたり、子供のような好奇心で行動したりする。そんな女性だ。

私が見てきた大人の女性は、子供と大人の境目が必ず表現や表情に出ている。大人には大人の行動様式があるといった印象を与え続ける。個人差があるが、子供っぽさを個性というのかもしれない。

歳を取ってくると若さに魅力を感じ始める。肉体的若さと精神的若さだ。シニアにとって肉体的な若さは求めても求めきれない。肉体は老いていく

精神的な若さは、肉体と違って若さを保ち続ける。私の義母は、精神年齢が若い。もう、86歳ぐらいの老人だが行動が小学生の女の子のような事をする。その姿を見て面白いと思うと同時に精神的な若さを感じた。爺臭い、婆臭いという印象がないのだ。

そんな母親を持った私の家内は、面白いキャラを持っている。彼女は既に50歳代後半の女性だ。彼女は自然に自分の年齢モードを変えられる。3歳児の女の子のモード、小学生2年生のモード、女子高生のモード、女子大生のモード、母親のモード、妻のモード、私の母親のモードなどなど。 

多重人格のように感情表現や言葉が変わる。そんな変化を私はいつも楽しんでいる。彼女の顔をじっと見つめていると面白い顔をやり始める。まるで子供のようなリアクションがある。自宅にテレビがあるが、テレビを見なくても彼女の顔を見つめるだけでテレビの代わりになる。 

ただ、肉体的に可愛い、綺麗だけの女性の魅力は、一過性にしか過ぎない。直ぐに飽きてしまう。 

私は整形をして無理やり顔を若くしている女性に関心がない。どんなに綺麗でも魅力を感じない。整形した顔はどこか不自然さを感じるからだ。神が作り出した顔と人間が修正した顔には本能的に違いを感じさせる。不自然さが自然と出てくる。

私たちは、女性が発する色々な事に魅力を感じる。顔の感情表現、言葉の使い方、日常の身のこなし方、着こなし、歩き方、体全体から出てくるオーラなど。これらの魅力は年齢に関係なく個性として私たちの体に居座っている。 

言葉に和みを含ませた話し方をする女性がいる。品が言葉に出てきているのだ。品は、生まれ育ちで形成されてくるのだろう。女性の品は、家族環境で形成されると私は思っている。上品さは、意識して身に付けられるのだろうか。難しいと思う。どこかでぼろを出す。

身についている、身に染みこんでいる品性は、自然に出てくる物だ。意識的に学んだ品性は意識を忘れた時にぼろが出てくる。生まれ持った個性と幼い時に学んだ品性は変えられない。3歳の魂100歳までもという言葉が象徴している。 

子供っぽく新しい事に好奇心を持ち、行動するシニア女性は、若さを取り戻しているように感じる。若さは内より醸し出てくる。老人だからそんな事はしないとか、年寄りだから若者たちが行くような場所には行かないとか、自分で自分の行動範囲や好奇心を狭めてしまう老人が多い。 

若さは、自分の考えや行動に制限を加えない自由な行動に有るのでは無いだろうか。

私たち夫婦は、時々、若者たちが沢山集まる場所に行く。原宿から表参道、そして、渋谷に通じるキャットストリートがある。若者たちが好みやすいお店が沢山そのストリートにある。夫婦で歩きながら、若者たちが一休みして会話を楽しむ洒落たカフェに入る事が多い。私たちのような年老いた夫婦はいない。20歳代前後の若者たちでいっぱいだ。

若者たちに囲まれたカフェにいると若さを体に取り込めるような感じがしてくる。タイムスリップして新婚時代のデートを思い出す。