年寄りの世界は自分が年寄りになってみないと分からない世界である。人それぞれ違った年寄りの世界がある。67歳になる私の世界は73歳の人の世界とは違う。60歳代は、まだ、社会で働ける年代である。70歳代は殆どの人が働くのをやめて社会との繋がりを離れる。仕事から離れた人の世界は孤独の世界である。誰も自分の存在に気が付かなくなる。
定年退職前の生活は社会が受け入れてくれる器(会社や仕事)をいくつか用意してくれていた。仕事を見つけて働けば良かった。65歳を過ぎて自分が入る器を探そうと探しても見つからない。社会には年齢制限という壁がある。65歳以降は自分で生活の基盤になる器を作りださねばならない。今までは仕事仲間がいた。65歳以降の老後は自分一人になる。
仕事仲間は同僚でしかない。たまたま同じ会社で仕事をしていたという関係である。会社を離れれば、そんな県警は一瞬にして消えてしまう。年齢が増えるに従って一人で時間を過ごすことが増えてくる。夫婦生活もどちらかが他界すれば一人生活になる。
一人で生まれて一人でこの世を去るのが人生。老後は一人で生活することに慣れなければならない。
第二の人生はお一人様の人生になる!
妻がいても、自分の時間を妻と共有するのは夜ぐらいしかない。妻は妻の生活が出来上がっている。妻の世界は専業主婦として地域に根差している。旦那たちは根無し草になって老後の居場所を探さざるを得ない。住んでいる地域での生活時間よりも会社にいる時間が長かったからだ。年寄り男性の生活は年寄り女性の生活よりも悲惨になる。労働社会から離れた途端に自分が根無し草になっている事に気が付くからだ。地域に自分の居場所がない現実に戸惑う。
根無し草のシニア男性
根無し草のシニア男性は人生の大半を仕事に費やしてきた。仕事なしの生活に慣れていない。定年退職後に好きな事をやって遊ぶと言っていたシニア男性が半年後、「仕事探しに明け暮れる」自分に気が付く。いくら好きな事が出来ると言っても1か月間好きな事を1日中できるはずがない。人間は同じことに飽きる。
暇になったシニアは好きな事をやっていても自分が変わらない限り同じ経験しかできない。好きな事でもずっと同じことを楽しみ続けるのは難しい。仕事をしていれば働く環境を変えるだけで色々な経験が出来る。それが仕事を面白くさせる。仕事無しで地域に居場所がないシニアは自然と生活がつまらなくなる運命にいる。
シニアの男性が第二の人生を楽しむには自分に合った仕事を見つける、作り出すしかない。仕事は絶えず自分に挑戦する課題を与えてくれるからだ。変化が絶えず起きている。変化に対応するために色々と試行錯誤をする。それが第二の人生を楽しくさせる。根無し草のシニア男性は何でも良いからアルバイトやパートの仕事に挑戦してみることである。
在住地域に近い場所でアルバイトをすれば、地域の人達と自動的に触れ合う機会が増える。地域の住民と仕事を通じて交流することで地域に自分の根を張る機会が与えられる。根無し草の老後を避けるには住んでいる地域でアルバイトをすることである。時間をかけて地域の住民と知り合う。
知り合いが老人ホームに入居し、他界して行く
60歳代は気力と体力がまだあるのだが70歳代になると確実に体に異変が出始める。60歳代に健康志向で体を鍛えていないかったシニアは70歳代になって体力の急激な衰えを感じ始める。疲れる事を嫌がり、楽を求め始める。体は以前よりも動かすことが無くなり、どんどん錆びついて行く。
付き合っている仲間、知人、友人が一人ずつこの世から消えて行く。私の義父は97歳である。彼曰く、もう、昔の友達や知人と会うことが無くなった。多くは他界し、残りは老人ホーム生活になっていると言う。元気で生活出来ているのは良いが、自分一人の生活である。一人で余生を楽しむ生活を自分で作り上げられる人は幸せである。
一人で生まれて来て最後は一人でこの世を去って行く。この運命は誰も避けられない。今の友人知人、仲間はいずれこの世を去っていく。一人で生活を楽しむスキルを身に付けないとつまらない老後生活を送る事になる。
老人は見える社会から見えない社会に消えていく
80歳過ぎの老人たちは自然と社会から消えて行く。健康障害で歩行が出来なくなり、老人ホーム施設の中に吸い込まれる。または、自宅介護状態になり行動範囲が自宅の中だけになる。外の世界で見る老人は健康で元気な老人たちである。時間とともに老人の多くは見えない世界に消えて行く。
地域の住民が井戸端会議をしていると「誰々さんを最近見かけなくなったけど、老人ホームに入居したのかしら?」と聞こえてくる。朝、自宅の周りを掃除しなくなる老人がいると地域の住民は異変に気がつく。70歳を過ぎたら自分たちの健康を注意することである。
自分で動けなくなったら社会から自分の存在が消えていく。
結論
- 70歳代になると孤独な人生の門を叩くようになる
- 外で見かける老人たちは幸運な人たちである
- 外で見かけない老人たちが大勢いるという事実を一般の人は気が付いていない