老人になると自然と今まで出来た事が出来なくなる自分に気が付く。出来なくなる事がどうしても目に付き始める。これを悩む高齢者が多い。悩んで解決できれば喜ばしい事であるが、現実は違う。精神的にマイナス思考になる場合が多い。自分の状況をマイナスに思い悩み始めると生きる事がますます辛くなる。この流れを変える方法がある。
出来ないことを出来るようにするよりも出来る事だけで余生を楽しむことに集中すれば、また違った人生の楽しみが生まれてくる。知人の老人がこんな事を言っていた。
「人間の人生には走れる時期、歩ける時期、そして、自分の足で歩けなくなる時期がある!」
自分の体を自由に動かせなくなると今まで出来ていた事が出来なくなる。その事実を飲み込んで出来ることだけで人生を楽しむという思考が重要になる。
自分が出来る事を探す、作る!
家内の両親は95歳と89歳の夫婦で健在であるが、肉体の衰えから義母は老健施設でリハビリ生活を送り、義父は介護付き老人ホームで生活を始めている。足の筋肉の衰えが彼らの自由を奪った。足の筋肉さえ衰えなければ普通の生活を自宅で過ごし続けることが出来た。
彼らの表情は、決して悲しい顔ではない。老人だから当たり前という心地にいる。素直に自分たちの状況を受け入れている。今出来る事で余生を如何にして楽しむかに集中して、二人とも新しい環境と世界で他の老人たちと交流しながら保護された生活を送っている。安全と安心がある環境は老人にとって必要である。
義父の挑戦
95歳の儀父は、いつも、自分が出来る事を探している。足のトレーニングをするために運動器具を購入して出来る事から改善しようとしている。前向きに事を始めると進歩が見えてくる。見えてくる進歩が心を明るくする。この明るさが生きる上での灯りになる。
老人ホームでは若い介護女性スタッフに囲まれて会話を楽しんでいる。一人生活が4年間続いていた生活よりも今の生活には花がある。彼にとって若い女性との触れ合いは気分的に若返る力をもらう接点になる。65歳の私でも若い女性と会話をする時は彼女から若さを頂いている。男性にとって若い女性との触れ合いが若いエネルギーの吸収源になる。
最近は老人ホームで新しい活動に挑戦している。今まで体操などを自宅でやっていなかった。今は老人ホームが開催する体操教室に積極的に参加している。体を自由に動かしたいという欲求がそうさせているのかもしれない。それを可能にする環境が老人ホームにはある。
私と義母との違い
私は、右目の半分の視野が見えていない。左目の4分の一も見えなくなりつつある。緑内障を25年以上の患っている結果である。命が先に尽きるか、両目が失明になるか、どちらか先になった時点で私の人生は終わりのように感じている。
だが、89歳の儀母は違う。彼女も緑内障で視野が狭くなっている。多分、私よりも悪い状況だと思う。いつも、驚くことは、自分の緑内障の視野障害を気にせずに「視野が確保できる目の動かし方をすれば良いのよ!」と気楽に語ってくれることである。嘆いて悩むのではなく、今ある視野で生活が不自由にならない方法を考えて実践している。
生きる姿勢がプラス思考であると・・・
前向きに自分たちの生活を考えて普通の生活を楽しもうとしている老夫婦の顔には、幸せ感がある。出来ないことを悩んで生活している老夫婦たちとは違う。生きる姿勢がプラス思考であると出来ないことで辛くならない。65歳の私は、出来ないことが増えていない。普通の生活で不自由もしていない。それに比べると義両親はすごい。
プラス思考に自分を変えるには、今から意識的にできないと思った事を出来るようにする思考と姿勢を身に付ける必要がある。そのためには、今出来ないことを素直に受け入れて、出来ることで物事を考えるしかない。同時に新しい事に挑戦して出来ることを増やしていく。
結論
老化で出来なくなったことが増えても、今出来る範囲の事でいつもの生活を楽しむ工夫をする。プラス思考を持つことで新しい挑戦が出来る。今までやっていないことに挑戦してみると意外な発見がある。不自由な老後生活は必ずやってくるが、制限された環境でも楽しめることを探せば見つかる。その努力に意味がある。前に進もうとする精神力が余生を楽しむエネルギーになる。