60歳から64歳までの生活と65歳からの老後生活では何が違うのか。現在、64歳の私はまだ65歳からの老後生活を知らないし、分からない。60歳以降の人生は、人によって様々になるということは分かっている。こんな生活でないと困るという理由もない。全ては、「65歳になったらどのような老後を過ごしたいかを計画する」しかない。
65歳以降の生活プランがあると自分の人生の羅針盤が作れる。羅針盤がある生活とない生活では、生きがいと楽しみで相当の違いが出るのではないか。私はそう思う。
60歳から64歳までの生活と65歳からの老後生活では何が違うのか。現在、64歳の私はまだ65歳からの老後生活を知らないし、分からない。60歳以降の人生は、人によって様々になるということは分かっている。こんな生活でないと困るという理由もない。全ては、「65歳になったらどのような老後を過ごしたいかを計画する」しかない。
65歳以降の生活プランがあると自分の人生の羅針盤が作れる。羅針盤がある生活とない生活では、生きがいと楽しみで相当の違いが出るのではないか。私はそう思う。
在宅介護と在宅治療は、健康な家族や親族を疲労で病気にする。大家族であった昔と違って手が空いている家族がいない。少子高齢化社会で働ける人は労働に駆り出される時代に向かっている。在宅介護と治療は、程度の差はあるが家族の時間と体力を消費する。在宅介護を経験したシニアであれば、私が言いたいことが分かるだろう。
お金があれば、お金に余裕がある両親であれば、在宅介護ではなく介護付有料老人ホームに任せることが出来る。どれだけの家族がそのオプションを持っているのだろうか。貧富の差がこんな所に出てくる。私が介護される立場になる年代は介護施設の空きがあるだろうか。公的な老人ホーム(特養老人ホーム)は料金が安いのでいつも順番待ちだ。
長生きをしている人生の先輩たちが私より先に特養老人ホームに辿り着くだろう。介護環境が整った社会になっていれば、こんな事を心配する必要が無いのだが、日本が北欧のような福祉国家になるのは私が他界してからだろう。
私の家内の母を今年の7月中旬に近くの老健に入居させた。86歳の義母は、自宅で老衰で死んでいくような感じであった。食欲もなく、起きている時間も少なく、いつも介護ベッドの中で寝ていた。体を動かしていないため足のくるぶし辺りからむくみが目立ち始めていた。そんな状態でケアマネジャーのお勧めの老健に入居申請をした。
老健では、バランスの取れた栄養が取れる食事、出来るだけ普通の生活が送れるような生活リズムを取り戻すプログラム、リハビリ運動が行われた。老健は、基本的に3か月間しか入居できない。そのため、私たちは別の老健に移る手続きを取った。
午前、午後と横浜の地下街を歩くと多くの老人たちが私の前を歩いている。年齢的に75歳以上に感じる。歩くのが弱々しい上に挙動不審な行動を急に取る。急に立ち止まったり、右左に方向を変えたり、先読みが出来ない。
私はいつも早足で歩いているので何かの拍子で老人に触れて転倒させてしまっては困ると気を使っている。老人は、転倒すると死に至る骨折事故になる可能性大だからだ。
事前に老人たちの近くを歩かないようにすれば、事故は起きない。いつも、そう気を付けている。
子供が巣立って家庭が夫婦二人の生活になった。新婚時代と違った生活が育っていっている。私は、会社員時代と同じように午前8時半ごろには自宅を出る。帰宅は、夜の8時ごろだ。家内は、私がいない間の時間を彼女なりの生活リズムで過ごしている。料理は、全て家内がやり、食事のあとかたずけはすべて私の仕事になる。
会社員の頃は、私は食べるだけであった。料理もあとかたずけも妻がやっていた。ちょっとづつ、家庭での役割分担が変わってきている。