70歳を過ぎて毎日が日曜日のシニアはお気に入りの場所を作っておく事

70歳を過ぎると仕事をしているシニアの数が減少する。会社で働いていた人も自営業者も仕事を辞めて余生を楽しもうと考え始める。老人の健康寿命(男性 72.14歳  女性 74.79歳)を考えると70歳から好きなことで余生を楽しみたいと思うのが自然だ。

実際に70歳代の高齢者は「毎日が日曜日」をどのように過ごしているのだろうか。1日中自宅にはいられない。どこかに行って暇を楽しんでいるに違いない。一体、どこにいるのだろうか。

morning set

シニアの楽しみはカフェで働く若者たちとの触れ合いにある

シニアを確実に喜ばせる方法がある。

若い女性・男性と会話ができる機会を作ってあげることだ。シニア男性たちの日常生活には、若い女性たちと一緒にワイワイがやがやする機会がない。いつも周りにいる人達は、同年代の老人たちだ。若い人たちとの接点が老いてくると次第に無くなってくる。

私は、横浜の街なかを歩いている若い女性たちを眺める事が多い。異性への興味は年令に関係なく老人にもある。同じようにシニア男性だけでなくシニア女性にも異性への興味はある。醜い老人よりも若々しい若者たちだ。若さ自体が魅力になっている。

世代間のつながりが現代は失われている。都会であればあるほど若者と老人とに接点が見つからない。これが若い女性となるとお金を払ってキャバクラに行くぐらいしか無い。

シニアが若返るには好奇心を追求して好きな事をする

私を含めて60歳を過ぎると興奮することが少なくなる。面倒なことはやりたくなくなる。新しいトレンドや出来事にそれほど興味を示さなくなる。自分の世界で都合の良い生活をやり始める。

その上、体と精神が確実に衰えていっているのが分かる。心の中は、何か物足りなさを感じている。若い頃以上に感動する機会がない。何かに取り憑かれるような強い感情が起きてこない。人間は、新しいことを学ぶことを忘れると時代の流れに着いて行けなくなり、周りから置いてきぼりになる。それで社会から孤立し孤独を味わい始める。生きがいを感じられなくなると人生の終着駅が見えてくる。

好奇心があるシニアほど喜怒哀楽を味わっている。今年65歳になった私の妻は好奇心でいっぱいである。先日、こんなことを言っていた。従妹の女医さんがいつも旅行で宿泊するホテルがドーミーイン。このホテルは夜泣きそば、湯上りのアイスクリーム、乳酸菌ドリンクなどが無料サービスがあってコスパが良いと妻に話していた。妻はドーミーインの無料サービスに興味津々になった。

5月の連休後にドライブ旅行に行くのだが、泊まるホテルがドーミーイン泊まるホテルがドーミーインになった。

高齢者が生き生きした生活を送るには

一週間が過ぎ去るのが早い。69歳になって自分の寿命が20年、30年もあるとは思っていない。後10年生きられれば79歳。私の感覚では80歳になる前までに多くのシニアが何らかの理由でこの世を去って行く。女性よりも男性である。時間を感じる感覚がその人の生活習慣で違ってくる。

暇な時間をうまく使えないシニア男性は過ぎ去る時間が遅いと感じるかもしれない。何かの目的に向かって時間を使っているシニアは時間が足りないと言って時間が過ぎ去る速度が早いと感じる。暇な生活をしているのか、忙しい生活をしているのかで時間感覚が違う。

毎日、毎日やるべき事が決まっていてそれをこなして行かないと生活が回らないというシニアは幸せかもしれない。一番良いのは年齢と体力にあった時間の使い方である。自分の活動をコントロールできる生活習慣を身につければそれが可能になる。問題は他人が自分の時間をコントロールしている場合である。

自営業で働いているシニアと雇用されているシニアでは時間のコントロール権限が違う。自営業者は自分のライフスタイルに合った時間の使い方を作れる。他人に雇用されて生活をしているシニアはそれが出来ない。仕事が忙しければ、自分の時間がすぐに消えて行ってしまう感覚を持つ。 

高齢者が生き生きした老後を送るには自分に与えられた時間をどのように料理すれば良いかで決まる。

生き生きした時間の使い方を考える

暇よりも忙しい生活のほうが時間を有効に使ったという感覚を覚える。夜寝るたびに明日やるべきことが頭に出てくる。ああやってみよう、こうやって見ようという考えで明日が待ち遠しくなる。そんな日々を送れるような生活習慣を作り出す。何も明日やることがない高齢者は明日が来るのを楽しみにしていない。ただ、時間がゆっくりと過ぎ去るのを待つ。 

70歳を過ぎたシニアが健康障害で病院通いを始めると持病中心の生活習慣が始まる。その中で自分の時間を楽しく使うことを考えないと残り少ない人生の時間を無駄に使うことになる。シニアにとって健康と体力維持は余生を楽しむ上で最低限の条件になる。 

加齢による身体の衰えは時間の使い方を変える。

一人を楽しむ

老後の生活は最終的に一人になる生活、それを受け入れる

69歳の老後はまだ一人ではない。家内は元気に好きな事をしている。家内も今年から国民年金を受給する。二人の年金を合わせると新婚当時の生活をするような経済的な環境になる。食べては行けるが、収入が固定されるので小銭を稼ぐ仕事をしなければ金銭的な余裕はない。但し、貯蓄を切り崩せばお金で困ることはない。

取り敢えず、二人の老後生活は経済面で問題はない。お互いに好きな事をしている。私は個人事業者としてインターネットビジネスを続け、妻はピアノの個人教授をしている。ピアノを習いたいというシニア男女に毎週教えている。

二人で生活が維持できていれば孤独や寂しさはない。だが、いつかどちらかが他界する。これは宿命であり、誰もが直面する。女性よりも男性の一人生活に問題が起きる。女性は地域に根ざした生活を長年しているので仲の良い友人、知人、近所の住民とのネットワークが出来上がっている。おしゃべりを楽しめる人達が多い。

多くの男性は地域に根を張っていないため自宅以外に居場所を見つけにくい。男のひとり暮らしは寂しいし、つらい。人と話をする機会もなくなる。友人や知人が居てもいつも顔を合わせて暇つぶしをするような感じではない。時間とともに疎遠になり、知らないうちに一人、または、一人と他界していく。

年齢が80歳過ぎになれば、孤独と寂しさを友だちにして飲み込む覚悟が必要になる。それが当たり前の現実だからである。それは69歳の私でも理解できているのだが心で受け入れているかと問われると自信がない。まだ、ひとり暮らしになっていないから。

夫婦二人の生活が当たり前の生活である今、ひとり暮らしは想像できない。