デパート内トイレ近くにある休憩用椅子に座っている老人たちを見て思う

多くのデパートには、トイレ近くにお客様用の休憩椅子が用意されている。私もトイレの後にスマホでメールを見るために利用している。何回か利用していくうちに見慣れた老人たちが大勢座っているのに気が付いた。この老人たちは男性が多い。女性はトイレに行ってすぐにその場を離れる。なぜか、シニアの男性が長く座っている。

その姿は、何かぼーっと見つめているような虚無の世界にいるような印象だ。

階段の息切れは老化現象なのか?

平日の通勤で駅の階段を上がり下りしている。駅の改札口に行くためには階段を上がる必要がある。改札口から乗車プラットホームに行くには階段を降りなければならない。この階段を昇り降りする一連の動作でいつも感じることがある。階段の昇り降りをした後に息が次第に切れ始めるのだ。足の筋肉にある酸素が切れて肺に酸素を送れと足の筋肉がSOSを出しているのだと思う。

週二回近くのスポーツセンターで筋トレをしている。スクワット運動は、70キロ 6回x3セットできる。筋トレの運動は、無酸素運動であるので息が切れる事が多い。そんな運動習慣を身に着けていても駅の階段の上がり下りで息が切れる。通常の歩行では早足でも息切れはしない。ウォーキングも10キロ歩いてもちょっと疲れを感じる程度である。その意味で特別な心肺疾患があるとは思っていない。

駅の階段の昇り降りで体験する息切れは老化現象なのだろうか?20歳代の若者と60歳代のシニアでは身体的に違いがあるのは確かである。

70歳になって分かる普通の生活の良さ

気がつけば、あっという間に古希を迎えていた。振り返ってみると、若い頃はただひたすらに前を向き、仕事や目標に邁進する毎日だったように思う。人から認められたい、成功したいという思いが強く、常に何かを追い求めていた。しかし、70歳という節目を迎え、ようやく気づいたことがある。それは、何気ないと思っていた日常の中にこそ、かけがえのない豊かさや喜びが 隠されていたということだ。

幸せを考える

色々な人と会って話をする機会が減った。営業活動を辞めて自由気ままに仕事をしているからである。70歳という年齢が自分の余命期間が少ないという意識を強める。生活する上でお金がもっとほしいという欲が少なくなった。老いて強欲な人間になるとお金の魔力に食われてお金を失う羽目に落ちる。

幸せは足元に落ちていると感じている。お金が沢山あれば幸せか。お金に困っている人にとってはお金がもっとほしいと思うのは自然。食べて行く上で困らない経済状態であれば、お金のことで普通の生活を乱さないことである。良く引き出される例がある。

有名人には有名税があり、自由とプライバシーがなくなる。普通の人が当たり前に味わえる自由とプライバシーに制約がかかる。群衆の中で埋もれて誰だか分からない人のほうが自由と幸せを見つけやすい。ここで一度自分の幸せについて考えてみてはどうか。

なぜ、老人は同じ話を何度も繰り返すのか?

知人と懇親会で酒を飲んでいるときに出る話は、いつも、どこかで同じ人から聞いた話が多い。なぜ、同じ話を繰り返して私に話すのか理解できない。推測では、私にその話を話したことを記憶していないからだと思う。話の流れがその話に関連すると必ずその知人はその話をする。

私も時々子供たちに話をしているときにふと気が付くことがある。この話、子供たちに話したことがあるなあ~と思い出すのだ。そんな時は、すぐに話をやめる。ああ、この話以前したよね!と。

サプリメント(健康食品)は本当にシニアの体に効果があるのか?

健康に意識が目覚めるシニア。そんな高齢者は健康食品(サプリメント)に走る傾向が強い。体を鍛えるよりも食べることのほうが楽だからだ。

 でも、サプリメントは本当に自分の健康に効果があるのだろうか。健康食品は薬ではない。体に足りないものを補完するためものである。私や家族が使用しているサプリメントがあるのだが、今一つ効果という点で疑心暗鬼である。信じれば救われるという言われるが疑っている。

やはり、効果を体感できないと健康食品は続けられない。個人差はある。体はそれぞれ違うからだ。Aさんに効果があったサプリメントがBさんにも効果があるとは限らない。