なぜ、老人は切れるのか?

スターバックスのカフェで仕事をしている64歳のシニア。パソコンを目の前にしてインターネットの仕事をしているのだが、時々、中年から熟年の奥さん方が4,5人でやってきて大声でおしゃべりを始める。これが我慢できない。インターネットで何かの記事を書いている時や考え事をしている時におしゃべりの声が集中力を妨げる。

自分の感じ方を第三者の視点で分析して見ると、自己中心的な考え方をしているのが分かる。

何かに集中したければ、カフェで仕事をしない事だ。カフェではおしゃべりが当たり前だからそんな感じ方はおかしいとなる。

老人が切れる、気が短いと言われる理由

親の介護、孫の相手、自宅のリフォーム、身体の老化対策で時間を失う老後

子供が独立して家を出る。夫婦二人だけの生活が始まる。ちょうど年齢が還暦を過ぎ、年金をもらえる歳になるまで夫婦二人だけの生活を楽しんでいた。このまま老後の生活を続けられるかなと思いきや親の介護が始まった。親の介護が始まると自分たちの時間が奪われ始める。

私の両親はすでに他界しているので妻の両親の介護である。最初に義母の介護が始まる。自宅で転倒し介護ベッド生活になる。そのため、義父の身の回りのお世話で月の半分は実家での生活が始まる。夫婦二人だけで楽しむ時間が親の介護で削られていく。

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義母の介護はケアマネジャーのおすすめで自宅から老健施設に入居することになる。このおかげで実家に半月も宿泊する必要がなくなった。ただ、月2回、義父のお世話と老健施設への訪問が続く。以前よりも介護に使う時間が減り、夫婦二人で1泊2日の旅に行ける余裕が出来る。この状態が数年続く。そのうちに義父の体が弱くなり一人で生活ができなくなる。急遽、老人ホーム探しで翻弄し、自宅近くの老人ホームに落ち着く。

義母がいる老健施設と義父が生活する老人ホームへの訪問だけになり、夫婦二人の時間が増える。実家は空き家になり、月2回は別荘として利用する。義父が老人ホームの生活に慣れた時点で老健施設にいる義母も同じ老人ホームに入居することになる。

義両親二人共老人ホームでの生活が始まって、私たち夫婦の時間に余裕が生まれる。両親の介護は精神的にも肉体的にも負担が多い。人生は面白いもので介護の負担が和らぐと子供が長男家族に生まれる。嬉しいことだが、孫のお世話が成長に従って増える。孫が一人、二人、三人となるとその負担が増してくる。

夫婦二人で楽しめる時間は親の介護が始まる前までである。それが出来るだけ長ければ長いほど自分たちの時間を気ままに使える。

女性用ショーツを履きたい男性、クロッチラインが出ないショーツ

今の社会はジェンダーレスに向かっている。男性が女性のファッションを楽しんだり、女性が男性の服装をしたりしている。そのような隠れた欲求は下着にもある。普通の男性が女性用ショーツを履きたいという欲求である。

でも、女性用の下着売り場でショーツを買うことが出来ない。世間体は女性用の下着売り場でウロウロする男性を変態男と思う。本能的に男性は女性が身につける見えない下着に興味を持っている。これは本能がそうさせるので仕方がない。

年齢に関係なく男性は女性の下着に関心がある。見る、触れる、履いてみることで本能的な欲求を満たす違うものへの興味である。女性はそんな男性を色眼鏡で見る傾向が強い。一方で女性も男性の下着に興味を持って男性用パンツを履いている人もいる。同じように違うものへの興味である。

男性でも履ける女性用ショーツ

米国のアマゾンではクロッチラインがないコットン95%のショーツが販売されている。円安で製品単価が高くなっているが、日本では手に入らないシームレスショーツでサイズも豊富。

シームレスでクロッチラインがないショーツ、男性でも履けるサイズ豊富

服装のジェンダーレス化は普通の男性が女性用ショーツを求める行動に現れる。

老人になると痩せ細り食べる量が減る、健康障害のリスクが高まる

いつも感じる事がある。横浜の街中を歩いていると多くの老人たちを見かける。ほとんどが、70歳以上の方々のようだ。その印象は、痩せ細っている体から来る。全員が痩せた体つきとは言えないが、力強さは感じない。老人になると自然に体が痩せてくるのだろうか?

素朴な疑問である。私自身、69歳のシニアだが10年後、20年後には痩せ細ってしまうのだろうか。私は週2回から3回スポーツジムで筋トレをやっている。お腹の周りに皮下と内臓脂肪があるためかスッキリした感じがない。おへその周辺が贅肉でちょっと膨らんでいる。

60歳、70歳でダイエットをしたいと思っている老人たちも多い。私の知人で75歳ぐらいの男性は誰が見ても超肥満体である。自分の体が重くて歩いては一休みである。体全体が痩せていく傾向はないが、体の中の筋肉が確実に痩せていっているのが分かる。

老人で痩せている人も太っている人も共通している老化現象は「体の筋肉が失われていっている!」ということである。体から筋肉が失っていくと姿勢が悪くなり、猫背で歩く老人が増える。筋肉の量があるポイントを超えて減ると歩行障害が始まる。動物は歩けなくなったら死ぬ。獲物を捕らえることができなくなり餓死する。

人間も死ぬまでの時間差はあるが死のリスクを高める。老後の競争はどれだけ長く健康寿命を伸ばせるかである。健康寿命を伸ばすには身体の筋肉量を増やすこと。筋肉量を増やすには体の筋肉を活発に使う生活習慣を身につけることである。

シニアにとって定期的な運動は必須である。高齢者の身体ほど動かさないと錆びてくる。身体に楽な生活は健康寿命を短くさせる。筋肉を使わない生活になるからだ。身体から筋肉を失うと身体が枯れていく。太っていても筋肉は増えていないで減ってきている。贅肉だけが増えて身体を重くする。少ない筋肉量で重い体は動かせない。

筋肉量を増やすことが老後の生活を快適にする。

70歳過ぎて働かなくても良いシニアは何に時間を使うのか?

70歳を過ぎると老化による体の変化が酷くなる。運動不足で体重が増えたり、筋肉の損失で姿勢が悪くなったり、肌が汚くなったり、世間体をあまり気にしなくなったりする。老いを強く感じると同時に若くなりたい、若く見せたいという欲求も強くなる。

若く見えるためには(1)姿勢が良い、(2)筋肉がある、(3)肌艶が良い、(4)お腹が肥満で出ていない、(5)清潔であるなどの要素のどれか一つがないと駄目。先日、老人ホームで暮らす義母に面会をしてきた。私の姿を見た義母の第一声は、「前と変わらず若いわね!頑丈な体格と良い姿勢が目立ってるわ。」であった。

私は余生の生活で筋トレを中心に生活を送っている。長年続けているスポーツジムでの筋トレは老いてくれば来るほどその効果が出てくる。最も顕著な効果は若く見えることである。筋トレのお陰で姿勢が良く、筋肉を増やして頑丈な体格を作っている。他人が一目見て、何か運動でもやっているでしょ!と聞いてくる。

現在、69歳半。来年には70歳になる。私の余生は始まっている。仕事は遊び程度にして興味を持っていることしかやっていない。平日の2日間は筋トレに費やしている。健康のために筋トレを続けているが、今では趣味になっている。体は週2回の筋トレをしないとスポーツジムに行けと言ってくる。筋トレ中心の余生であると言って良い。

bench press example

人それぞれ考え方で余生を送っていると思う。残り少ない自由な時間を自由に動かせる体で楽しむ。体が不自由になったら生命があっても余生は楽しめない。老人ホームで生活をしている義母を見てそう思う。自分の足だけでは移動が難しい生活を送っている。

70歳を過ぎたら、残りの時間を如何にしたら楽しめるかを真剣に考え、実行したほうが良い。

相鉄線横浜駅出口の中華料理店「竜王」は格安の人気店、その理由は3つある

物価がどんどん上がってきている。ランチがいつも外食の私は安くて美味しいお店をいつも探す。横浜駅周辺にあるレストランのランチは1000円以上が当たり前になっている。節約志向の会社員はお弁当持参か、東急ストアでお弁当を買う。それが嫌な人は1000円以下でランチが出来るお店を探すことになる。

松屋、すき家、吉野家などのファストフード店に行く会社員が多いが、栄養バランスを考えるとオススメではない。相鉄線横浜駅5番街側改札口徒歩1分の中華料理店「竜王」には日替わり定食がある。必ず、卵スープ、味付け海苔、冷奴、大盛りのご飯、メインの日替わり料理がでる。日替わり料理の量も多い。ファストフード店のランチではお腹がいっぱいにならないが竜王の日替わり定食ならば、お腹がいっぱいになる。

物価上昇で多くのレストランは軒並みに料金を上げているのだが、竜王は価格を抑えて頑張っている。目玉メニューの価格はいつも同じ価格で上がっていない。横浜駅に来られた方は一度「竜王」のお店でランチを食べてみてもらいたい。嘘ではないことが分かる。

長蛇の列がランチタイムに出来る。でも、常連客はその列に並ぶ。どのくらい並んでいれば席に着けられるかが分かっているからだ。

一人を楽しむ

老後の生活は最終的に一人になる生活、それを受け入れる

69歳の老後はまだ一人ではない。家内は元気に好きな事をしている。家内も今年から国民年金を受給する。二人の年金を合わせると新婚当時の生活をするような経済的な環境になる。食べては行けるが、収入が固定されるので小銭を稼ぐ仕事をしなければ金銭的な余裕はない。但し、貯蓄を切り崩せばお金で困ることはない。

取り敢えず、二人の老後生活は経済面で問題はない。お互いに好きな事をしている。私は個人事業者としてインターネットビジネスを続け、妻はピアノの個人教授をしている。ピアノを習いたいというシニア男女に毎週教えている。

二人で生活が維持できていれば孤独や寂しさはない。だが、いつかどちらかが他界する。これは宿命であり、誰もが直面する。女性よりも男性の一人生活に問題が起きる。女性は地域に根ざした生活を長年しているので仲の良い友人、知人、近所の住民とのネットワークが出来上がっている。おしゃべりを楽しめる人達が多い。

多くの男性は地域に根を張っていないため自宅以外に居場所を見つけにくい。男のひとり暮らしは寂しいし、つらい。人と話をする機会もなくなる。友人や知人が居てもいつも顔を合わせて暇つぶしをするような感じではない。時間とともに疎遠になり、知らないうちに一人、または、一人と他界していく。

年齢が80歳過ぎになれば、孤独と寂しさを友だちにして飲み込む覚悟が必要になる。それが当たり前の現実だからである。それは69歳の私でも理解できているのだが心で受け入れているかと問われると自信がない。まだ、ひとり暮らしになっていないから。

夫婦二人の生活が当たり前の生活である今、ひとり暮らしは想像できない。

幸せを感じる方法

大人になり、老人に成り始めると子供心を忘れる。純粋に見たもの、聞いたこと、触れたこと、感じたことを素直に受け取れない。人生経験で得たフィルターが邪魔をしている。今までに経験したことがない現象や事に直面すれば新鮮な感情が生まれてくる。そのような新鮮な体験を求めるのは難しい。偶然、そんな体験をしたという結果に過ぎない。

最近、感動したことは10年間乗っていたプリウスを新車ホンダFit RSに取り替えたこと。10年間のうちに色々な機能が自動車に追加されているのに気がついた。その一つに一時的なサイドブレーキ機能がある。今まで信号待ちで止まるたびにブレーキに足を置いていた、またはマニュアルのサイドブレーキをしていた。今は、ブレーキで止まったら自動的にサイドブレーキが起動する。アクセスベダルを少し足で押せば動き出す。このお陰で信号待ちの時に右足を休められる。

ちょっとした事であるが、今まで出来なかったことが出来てくるとそれを可能にする機械や機能に感動する。感動すると何故か良い気分になる。脳内にオキシトシンが分泌されたのだと思う。もう一つはより男性的な刺激を下記の写真から受けた。女性のお尻の形がタイトジーンズで目立つ。眺めていると心地良い気持ちになる。女性をモデルにした絵画もこんな魅力を描いているのだろう。

ジーンズ姿の魅力

眺めているだけで幸せを感じる。なかなかこんな形のお尻を持つ女性はいない。いやらしいと言うよりは芸術的な「美」である。他人のお尻を触ることは出来ないが、眺めて楽しむことはできる。高齢者はあらゆる機会を駆使して喜びや幸せを感じるチャンスを見つけるべきである。

脳内にオキシトシンが分泌されたと分かる時は感動した時が一番わかり易い。

私は20歳代の頃、自分の夢を友人に語ることが好きであった。語ることでその夢に酔いしれる。それは米国の州立大学に留学をしたいなあ!という夢であった。夢を追い求める夢追い人になっていた。このときも幸せを感じていた。必ず、米国の大学に留学してブロンド女性とデートしたい。

今は自分の夢に酔いしれることはないが趣味の筋トレで体型を改造している。スクワットで太ももを太くして、懸垂で肩幅を広げ、逆三角形の体型を目立たせたい。朝起きた時、夜お風呂にはいる前に洗面所の鏡に写った自分の体を眺めて69歳のシニア男性でない体型を確認している。筋トレを続けると体型は知らないうちに変化している。それに気がつく時に幸せを感じる。目標にちょっとづつ近づいていると分かるからだ。

自然に喜怒哀楽を受け入れる老人に成りたい。

シニアの外出時に財布を自宅に忘れお金で困ったらどうする?

仕事で外出する時に財布をよく忘れる。財布を自宅に忘れたのに気がつく時は通勤定期を駅で使うときが多い。財布に通勤定期が入っているからだ。自宅から最寄りの駅まで20分ぐらい歩く。妻に電話をして自動車で持ってきてもらうこともあるが、それは極めて稀である。妻に電話すれば取りに帰って来てと言われる。

現金さえ手元にあれば、何とか1日を無事に過ごせると思あった時にスマホに入っている銀行アプリで現金を引き出せる。最近、それを知った。セブン銀行とゆうちょ銀行のATMはアプリで現金を預けたり、引き出せたりできる。

セブン銀行のATMはセブンイレブンの店舗に置かれている。ゆうちょ銀行のATMは郵便局と提携先のファミリーマートに置かれている。セブン銀行もゆうちょ銀行も全国展開をしているので旅先でも利用できる。手元にクレジットカードやキャッシュカードがなければ、スマホにある銀行アプリだけでお金を引き出せるのは非常に便利でありがたい。

なぜ、シニアは夜テレビをつけっぱなしの過ごし方をしているのか?

夜の時間を有効に使っているだろうか。そんな疑問が頭の片隅にある。昼間は、仕事をしているので夜は仕事から離れたい。パソコンの画面を長時間見ているので夜は目を休める意味でパソコンから離れたい。そんな思いがいつもある。

ふと、仕事をしていない引退生活をしている高齢者の夜はどんなものなのだろうかと考える時がある。69歳の生活は半分引退生活に近い。年金収入と自営業売上で何とか生活を続けている。仕事はほぼ趣味の範囲になっている。売上を上げるための強い動機もない。好きだから今の仕事を続けているという状態になる。

従って、夜仕事をすることは殆どない。では自分の夜の時間を考えてみるとテレビは寝るまでオンである。夫婦一緒に居間で何かをしている。私が新聞を読んでいると家内は好きなテレビ番組を見ている。二人ともテレビを見ていなくてもテレビはどこかの番組を映している。

日頃の習慣として「オンになっているテレビ」が当たり前の生活になる。