老人はお金をあまり使わないという。これは一理ある。私、62歳のシニアでさえもお金は使っていない。その理由は、個人差があるが共通していることは、欲しいと思っている日常生活製品が既にそろってしまっているからだ。
老人でお金を稼いでいる人たち(大家さん稼業、会社経営者、投資家など)は、黙っていてもお金が貯まって行く。一人の老人が使う1日のお金は、数千円ぐらいだろう。私でさえもランチとコーヒー代ぐらいだ。1日1000円前後だ。
ただ、老人は、使う時には大金を使う。
老人はお金をあまり使わないという。これは一理ある。私、62歳のシニアでさえもお金は使っていない。その理由は、個人差があるが共通していることは、欲しいと思っている日常生活製品が既にそろってしまっているからだ。
老人でお金を稼いでいる人たち(大家さん稼業、会社経営者、投資家など)は、黙っていてもお金が貯まって行く。一人の老人が使う1日のお金は、数千円ぐらいだろう。私でさえもランチとコーヒー代ぐらいだ。1日1000円前後だ。
ただ、老人は、使う時には大金を使う。
Yahooのクレジットカードを使っている。最近、YahooクレジットカードがPayPayクレジットカードに変更された。スマホでPayPayクレジットカードページにアクセスして会員ログインをすると使用明細書が閲覧できる。閲覧後、PayPayクレジットカードの会員ページからログアウトする。
これでYahooからのトラッキングを切れると思っていたが、現実はYahooでのログイン状態が続いていた。そのまま使っているとスマホでどのページ、サイトを閲覧しているかの情報をYahooに残してしまうことになる。
スマホのYahoo会員ページを見てログアウトメニューを探すのだが見つからない。こんな経験をしているシニアが多いのではないか。Yahoo会員ページにログインしないとYahooメール、PayPayクレジットカードなどのマイページを使えない。ログアウトが出来ないとずっとトラッキングされる。
Yahooポータルサイトで提供するサービスを使うと色々な広告が表示される。その広告の表示にトラッキング情報が反映される。それが嫌なのでスマホでYahooからログアウトする方法をずっと探していた。
定年退職をして65歳まで働き続け、そして、毎日が日曜日になったシニアが多い。毎日が日曜日になったシニアは、その日から本当の自分探しが始まる。人に頼らない、組織に依存しない、自分の人生を楽しむライフスタイルを探し始める。どんな人であってもこれまでの長い人生経験が無駄な人生であるとは思っていないはず。人それぞれの価値が人生経験にある。
毎日が日曜日になって暇で困っているシニアに勧めたいことがある。 ボランテイア活動をする。それも有償ボランティアである。無償ボランティアは経済的に豊かでないと続かない。有償ボランティアでは自分の持ち出しがない、小遣い程度のお金がいただけるボランティア活動である。
小遣い程度でも少しでも実入りがあればボランティア活動を続けやすい。ボランティア活動を通して社会と繋がりが持てる。メリットはお金ではなく社会での存在感と繋がりをボランティア活動から得られる事である。
老いてくると出来るだけ楽をしようとする。階段を使わないでエスカレーターを使う。歩いて行ける距離を自動車で行ってしまう。足を使って歩くと言うことを意識的にしない高齢者が多い。外出するときは、出来るだけ歩く距離を増やすという意識がないと足腰が衰えてくる。そんな危機感が無い老人が多い。
足は歩く事で第二の心臓の役割を果たす。足のふくらはぎが足に溜まる血液を歩く事でポンプの働きをする。老いて来ると体が疲れやすくなる。意識して体を動かす習慣を身に付けないと体の筋肉が失われて行き、血液の流れも悪くなる。
血液の循環が悪くなると老人の体に原因不明の体調不調が表れてくる。医師は、老人たちに毎日歩く事を勧めている理由がここにある。血の巡りが悪くなることで体に酸素と栄養が行き渡らなくなる。体を活発に動かす生活習慣を持つシニアは自然のうちに新鮮な血液と栄養を体に供給している。体を動かす生活が生きていくためのエネルギー供給網を維持する。
歳を取ってくると自分の命が短くなっていることを何となく感じる。お金に執着して大金持ちになりたいという気持ちもなくなる。食べて行ければそれで良いという気分になる。他界するまでに満足がいく生き方をしたいという気持ちが高まる。物欲で生活するよりも精神的に満たされる時間と生活に気が行く。
還暦を迎えると断捨離を考え始める。自宅の中を見渡せば、使っていない物で溢れている。巣立った子供たちの物などは二度と使う事は無い。60歳から70歳の10年間の内に老後の生活で使う物だけにする。衣食住に満たされているシニアであるならば、生活で使わない物を処分して行く。出来るだけ身の回りの物を少なくして他界した時に子供たちに面倒な処理をさせないようにすると考える。
年金と貯蓄だけで最終的に生活をすることになる。贅沢な生活が出来ないのが一般のシニアである。多くは年収300万円以下の生活になる。生活面で困らない生活をするには、お金が極力出て行かない生活をするしかない。自給自足の生活がどれだけできるかでお金に頼らない生活を送れる。
老後の夫婦生活を円満に出来るかどうかがシニア夫婦の幸せを左右する。定年退職後、待ってましたと離婚を迫る妻に戸惑うシニア男性が多い。旦那は妻が離婚したい理由がすぐに理解できないケースが大半である。積もり積もった妻への愛情の無さが離婚という結果につながる。
離婚まで行かなくても夫婦生活に隙間風が吹き始める。一緒に行動することが少なくなり、形だけの夫婦に成り下がる。老後の生活を楽しむには夫婦の仲が良くないとだめだ。そんな感じがあるならば、妻を喜ばせることをやるしか無い。
定年退職後の生活は夫にとって大きな変化である。妻にとっては夫が毎日自宅にいることで自分の世界が無くなる。それを苦痛に感じている。以前のように会社に出勤してもらいたいと願っている。夫が自宅にいるだけで今までのプライベートな時間が無くなり夫のお世話をする必要が出てくる。
夫は自宅に居てなぜ悪いのかと考える。妻の生活視点で夫は考えられない。そこに大きな認識違いがある。
会社という組織から離れた人が共通して感じる事は、気軽に会話をする相手、仲間がいなくなることだ。会社にいれば、同僚と上司の悪口や会社の状況などを話題にして話が出来る。話をする共通話題がある。仕事をしていないでしばらく自由な生活を自宅で送っているうちに社会から取り残されたような感じを受け始める。
自分を束縛してきた組織から解き放されて精神的なストレスを解消できたと思ったら、別の問題に直面する。気楽に会話をする相手が見つからなくなったという問題だ。孤独を味わい始めるのが老後の人生である。一人で自分の人生をどのように過ごしたら良いかを考えねばならない。今までは会社中心の人生設計で時間が過ぎていたが、今は一人になった自分を中心に残りの人生を過ごさねばならない。
行く場所があり、会話をする相手がいる環境を自分で探し、作らねばならない。これをやらないシニアは孤独を甘んじなければならなくなる。自分でアクションを取らなければ何も始まらない。それが会社を卒業したシニアの運命である。孤独と戦うのではなく、孤独を友達にして、孤独から離れたり、一緒になったりする事に慣れるしかない。
そんな老後を過ごすには気楽にお喋りができる仲間を見つけるしかない。
介護ベッド生活を送っている老人は、自分で身動きができない。食事をするにも排泄をするにも誰かの介添が必須になる。年齢が80歳を越えると自分の体が老化現象で自由に出来なくなるという現実に不安と恐怖を抱く。私の義母は85歳。圧迫骨折で介護ベッド生活を送っている。骨折は順調に回復してきて、背中の痛みはなくなってきた。
問題は、足の筋力低下。この問題は健常者の老人にも当てはまる問題である。
介護ベッド生活の期間が長ければ長いほど足の筋力と体の筋力が衰えていく。体を動かすことが少ない介護ベッド生活は老後の生活の生死の境目になる。足のリハビリを頑張って自分で歩けるようになれば、生の道が開ける。自分に甘えて我儘な生活を送るならば、死の道が開く。
そんな状態を介護されている老人は意識していない場合が多い。自分のために家族がなんでもやってくれるからだ。子供が母親に駄々をこねるように老人も同じ精神構造になる。子供は自分ができないことを母親に求める。介護されている老人も自分で出来ないことを家族に求める。
介護する家族は何でも聞いてやってあげることが親へのお返しと思っている。その結果、介護負担で自分を駄目にしてしまう。義母の介護も私達夫婦に負担をかけていた。義父は一人で自分のお世話ができているが出来ないことはすぐに私達夫婦に来る。義両親の介護とお世話は私達夫婦の自由な時間を奪う。
介護ベッド状態の義母は子供のように幼稚化してしまった。何かほしいモノ、やってもらいたいことが頭に浮かぶとすぐに大声で私達を呼ぶ。これが頻繁に起こる。子供のように言い聞かせることも出来ない。幼稚化した老人は子供以上に厄介である。
他界する時期は必ずやってくる。それがいつになるかは運次第。予定は未定だが、自分が死にたい年齢を決めて現在の年齢までの人生を想像してみる。希望的観測でこう有りたいという絵である。
米国の大学でEnglish 101というクラスを履修した。授業ではエッセイの書き方を学んだ。エッセイを書く時に結論を先に書けと教えられた。結論から逆上ってコンテンツのアウトラインを書き内容を肉付けしていく。
老後の人生も同じような形式で希望的観測の人生計画を考えてみるとこれからの余生を楽しめる。まずは現在と89歳の自分の人生を描いてみたい。現在、私は67歳であるので89歳まであと22年間ある。89歳まで生きたいという人生計画になる。
先ほどすれ違った老夫婦は二人とも体が細かった。私の印象では、75歳以上の老人男性は段々と食が細くなり運動もやらなくなり、体重が落ち始める。元から太っている高齢者は、枯れる事はないが、自分の体重に耐え切れなくなる。長く歩く事が出来ない。直ぐにどこかに座って休み始める。
やせ細る老人たちは共通して食が細い。これは当たり前だろう。食べる物が少なくなれば、体が消費するカロリー消費も減少する。足りないカロリーは、体の筋肉から次第に消費される。これが悪循環になり、筋肉量が多い足から栄養を取り、筋肉を失っていく。
体は骨と筋肉で基本的な体型を作っている。筋肉量が加齢で減ってくると体が枯れて細くなっていく。筋肉は自分の体を動かす上で最も重要である。筋肉を維持することが老後の生活を快適にする。老いてくると体が枯れて細くなるシニアと肥満で歩けなくシニアに分かれる。どちらも筋肉量が減少して自分の体を自由に動かすことが出来なくなる。